小学6年生ゲーム、桜井(黒黄)対とりみ
春の白く柔らかな陽光が降り注ぐ奈良県で、3つのラグビースクール(RS)の周年を祝う記念交流大会がありました。
4月29日、祝日「昭和の日」のことでした。
●40周年(1978年創設)
桜井少年ラグビースクール
広陵少年ラグビークラブ
●25周年(1993年創設)
橿原ラグビースクール
奈良県中部にある桜井市。神が宿るとされる緑濃い円錐形の三輪山を仰ぐ、芝運動公園多目的グラウンドに、周年の3つを含む県内の全8RSが集まりました。さらに、隣の京都府から山城ラグビースクールも加わり、計9RSによる全学年(幼稚園〜小学6年)における親善試合が行われました。
参加人数はスクール生500、指導員や保護者500の計1000。青々とした天然芝のグラウンドは、幼稚園から小学6年用までさまざまな広さで7個面に分割されました。試合開始の午前10時から午後3時まで5時間にわたって大きな歓声が響き渡ります。
ランチとして、ねぎ、わかめ、あげ入りのうどんが無料で1000食提供されました。生徒たちは試合して減ったお腹をすぐに満たすことができました。
各チームは前後半7分ハーフの試合を最低2つこなします。チーム間で交渉が成立すれば、追加のゲームもOKです。
主催は地元の桜井。運営責任者には大井正光さん(58)がつきました。
「この大会はメンバー交代自由、学年を超えた掛け持ちも可能です。勝ち負けにこだわらず、交流を第一にしています」
幼児〜2年は5人、3〜4年は7人、5〜6年は9人が必要ですが、天然芝の上での試合を数多くこなせるよう考えられています。
桜井の6年生チーム主将は、石崎舜大(しゅんた)君(11)です。
「大会は楽しいです。いつもの練習でもコーチは優しいし、わからないところがあれば、丁寧に教えてくれます」
170センチの「大型CTB」はニッコリしました。
桜井と広陵は代表が同じ「桜井ラグビークラブ」のチームメイトだった縁で、「子どもたちにも、この素晴らしいスポーツを伝えよう」との志をもって1978年に作られました。
桜井代表の土道與(つちみち・あとう)さん(69)は言います。
「広陵とは同時にできた兄弟みたいなもん。双子のチームですな」
土道さんは地元の畝傍(うねび)高校でラグビーを始めました。ポジションはFL。関西大学では応援団に変わり、4年生の時には団長をつとめました。
現在は、材木など建材を調達する会社の社長です。真っ黒に日焼けした顔に細い目は「援団あがり」の威圧感を感じさせますが、生徒の前では目じりが下がります。
「ラグビーのよさは一つになれるところですかね。みんなが助け合ってね。会社と一緒でそうすれば強くなるからね」
広陵代表の太田英幸さん(70)は、伝説の強豪・福岡電波高校(現福工大城東)の出身です。3年時の第44回全国大会(1965年)ではWTBとして8強入りに貢献。3大会後、創部10年での全国優勝の下地を作ります。
結婚して博多から奈良に移り住み、チームを立ち上げました。常に笑顔を絶やしません。
「できた頃と気持ちは変化していません。一緒。ただただ子どもが好きっていうことやね」
自身の将来に目を向けます。
「北島忠治さんのように、死ぬまで代表ができたら幸せですねえ」
95歳で亡くなるまで、67年にわたり明治大学を率いた人物に、石材を扱う会社社長は自分を重ね合わせます。
橿原代表の吉田英貴さん(41)は橿原市立晩成小学校の先生です。奈良教育大学、奈良教員で主にNO8をつとめました。
現在、練習グラウンドとして使っている金橋小学校に、2000年に赴任して、指導員をつとめるようになりました。
「この25周年を通過点として、これからも地域の人たちの協力を得ながら、地域に根差したチームにしていきたいと思っています」
現在の生徒数は45。少子化による生徒数減に歯止めをかけるため、Facebookなどで情報を発信したり、ポスターを貼ったり、チラシを配ったり、努力を続けています。
3つのRS出身でトップチームにいる主な選手は、桜井が田淵慎理さん(近鉄ライナーズ、FL)、広陵は竹山晃暉さん(帝京大学3年、WTB)、橿原が塚本健太さん(サントリーサンゴリアス、FB)です。
彼らだけではありません。有名無名のたくさんの生徒たちが、それぞれのRSの歴史をこれまで築き上げてきました。
桜井、広陵ができた時代は昭和でした。元号は平成に変わり、長い年月が過ぎましたが、これからもずっとずっとチームを存続させていきたいものですね。
(文:鎮 勝也)
橿原代表の吉田英貴さん、桜井代表を土道與さん、広陵代表の太田英幸さん(左から)