ラグビーリパブリック

日本でやるために王国で暮らした。キウイスタイルのSH、狩野太志の挑戦。

2017.04.29

50メートル走は6秒3。スピードもある。(撮影/松本かおり)

 王国へは日本でのチャンスをつかむために行った。チャンスを虎視眈々と狙っていた男にとっては絶好の機会が巡ってきた。4月26日に開催されたトップリーガー発掘プロジェクト2017だ。
 同トライアウト当日。参加した60人弱のリストが配られた。強豪大学に所属も、まだ進路先が決まらぬ者。フィジーからの留学生や、クラブチーム所属の選手たち。様々なバックグラウンドを持つ選手たちの中に、ひとり海外からやって来た男がいた。
 狩野太志(かりの・ふとし)。所属チームはワイテマタRFC。ニュージーランドはオークランドの名門クラブである。
 東京生まれの22歳。3歳の時、世田谷ラグビースクールで楕円球を追い始めた。中学時代はブレイブルーパス府中Jr.ラグビークラブに所属(東京都スクール選抜に選出)。法政二中に学んでいたので、進学した法政二高でプレーを続けた。花園を目指しす日々を過ごすも、夢は叶わなかった。
 高校卒業後、ニュージーランドへ渡った。王国で名をあげようと思ったわけではない。将来、日本ラグビーで成功するための準備だ。
「そのまま法政大学に進学すれば、全国の強豪校からやって来る人たちの中で埋もれてしまうんじゃないかと思ったんです。だからニュージーランドに行って成長し、その後に日本で活躍できれば、と」
 高校1年時、ロトルア・ボーイズ高に短期留学(3週間)したことがあった。ラグビーを追求するのに最適な場所だと知っていた。
 まずクライストチャーチに向かった。リンカーン大学附属の語学学校で1年間学び、その後、同大学でスポーツ&レクリエーション マネジメントを学ぶ。ラグビーは同大学クラブでプレーした。現在ハリケーンズで活躍するジョーディー・バリット、クルセイダーズのジョーダン・タウファと同じピッチに立ったこともある。
 学業を終えてオークランドに移り、今年1月からワイテマタクラブに所属した。北島のビッグシティーに拠点を移したのは、オークランド・ラグビー協会が主催するアカデミーでトレーニングを積むためだ。
「そこでやっているプログラムがいい、とニュージーランド人の知人にすすめられたので」
 そこでトライアウト1週間まで活動した。
 発掘プロジェクト当日は午前中にスキルセッション等がおこなわれ、午後に試合形式のトライアルが実施された。午前のプログラムを終え、狩野は周囲の選手たちの印象を「みんなパスがうまいし、器用ですね」と言った。
 ニュージーランドではSHに求められるものが少し違う。日本ラグビーから離れ、そう感じた。
「パスの(軌道の)キレイさとかには、こだわりがない。それより状況判断です。そしてタックル」
 午後の試合でも、そういった自分の強みで勝負したいと話した。
 実際、SHの位置に入った際はよく前を見てプレーし、自ら走るシーンもあった。独走する相手を必死に追い、トライライン寸前で倒すプレーも。160センチ、70キロの体躯をフルに使った。
 前年もこのプロジェクトへの参加を考えていたが怪我でチャレンジできず、今回の機会を待っていた。日本ラグビー界で活躍するために渡ったニュージーランドだから、日本チームから声がかかれば、王国を離れる。
 そうは言いながらも、ラグビーが宗教と言われる国だ。たくさんの影響を受けて愛着がますます深まった。
「ラグビーを楽しむ。その点で最高の国です」
 例えば同期の仲間に日本での様子を聞く。最初に出てくる言葉は「(練習などが)きつい」が多い。ニュージーランドでは、誰もがこのスポーツを楽しいと口にする。その中でうまくなる。
 王国には、SHの自分にこんな話をするコーチが何人もいた。
「(オールブラックスのSH)アーロン・スミスは1試合が6本〜10本ほどしかキックを蹴らないのに、週に100本以上蹴る練習をしているんだよ」
 強制でなく、みんなが憧れる人の話をして自主性を刺激する。そんな環境で暮らした3年半は、この先の人生を豊かにしてくれそうだ。
 もし日本でトップレベルのチームに所属できたなら、対戦したい選手がいる。今春、同志社大学からサントリーに加入したSH大越元気。世田谷ラグビースクール時代にともにプレーした同期だ。
 同じピッチに立つ機会が訪れたら、キウイスタイルのSHとして勝負を挑みたい。
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