慶應大に大敗して呆然とする青山学院大SH・肘井祐大主将。
(撮影/鎮 勝也)
「あんた、わかってんなあ。魂売ってきたら、家に入れへんで」
母・奈々から浴びせられた、はなむけの言葉だった。
奈良から東京へ旅立つ時である。
母の言葉を意訳すると
「関西人の誇りを忘れるな」
大都会の色には染まらず、エネルギッシュに生きろ、ということだろう。
あれから4年…。そんな母に育てらえた肘井祐大(ひじい・ゆうだい)は青山学院大の主将になった。
1924年創部。今年94年目を迎える名門だ。両袖に2本の黄色が入る黒ジャージーの先頭に立つ。肘井は抱負を口にした。
「大学選手権に出たいですね」
しかしながら、現実は甘くない。
4月23日、2017年度の15人制初戦となった慶應大との試合に5-53と大敗する。
前年度、関東対抗戦Aの6位(2勝5敗)と4位(4勝3敗)の差は詰まらない。
関東大学春季大会として組まれた試合では、黒黄のラックへの速さと強さにボール保持を分断された。
唯一、組織練習の成果が出たのは前半37分、モールを押し込んでのトライだった。敵陣ゴール前のラインアウト。キャッチャーがボールを空中で内側にパスをして接点をずらした。0封は免れた。
9失トライの現実に、SH肘井は下を向く。
「どんな風にしたら試合の最初から、みんなの気持ちを最高に持っていけるのか…。後半の最後はバチバチ行けるようになりました。あれを初めからやらないといけません」
自身のパフォーマンスは悪くない。前後半通してパスミスはなかった。右足のハイパントが使えるため、2枚目のFBとしてライン裏を抑えたりもした。
ただ、主将としての責任を大きく感じる。
肘井は奈良出身。生粋の関西人だ。
小学5年で広陵少年ラグビークラブで楕円球に出会う。河合二中から大阪・常翔学園に進んだ。
高校2年の時、全国優勝を経験する(第92回、2012年度)。1つ上のSHは重一生(帝京大→神戸製鋼)、高島理久也(立命館大→セコム)。3年時には府大会決勝で東海大仰星に5-47で敗れ、全国には行けなかった。
3年春に青学から勧誘を受ける。
「それまであまり誘いがなかったので、ありがたいなあ、と思いました」
東京では戸惑いの連続だった。
「パッチが通じませんでした」
練習や試合で下に履くアンダーを同じ寮生活をする同期にわかってもらえなかった。思いあまって現物を持っていく。
「それ、ももひきだよ」
一蹴された。
「言葉が合わなくて…。イントネーションも違うので、こっちに来た時は、3か月くらい自分で勝手にイライラしていました」
その中で、部の雰囲気が環境になじませてくれる。
「上下関係がゆるい高校から来た同期が、タメ口まじりの敬語で先輩に話したんです。どうなるんやろ、とビクビクしてたら、そのまま会話は流れていきました。みんなフレンドリー。先輩と後輩で遊んだりしますしね」
3年から公式戦出場。昨年、レギュラーを争った古賀駿汰がSOに移り、今年はプレーヤーとしての責任も大きくなる。
青学は昨年度、監督を公募。7人制日本代表や東海大、日本大などで指導経験のある加藤尋久(ひろなが)を選んだ。明治大から神戸製鋼に進み、CTBとして日本代表キャップ2を持つ。49歳監督は肘井に期待する。
「彼は常翔学園で厳しいことを乗り越えてきました。ラグビーに対して真摯な部分もある。リーダーに値する人間です」
ラグビー部がモデルにするのは陸上競技部だ。2004年、中国電力で営業マンだった原晋を監督として招聘。2015年から箱根駅伝で3大会連続完全優勝を遂げた。
栄光をつかんだ部に続きたい。
そのためにも、肘井が目標とする「大学選手権」の出場資格がある対抗戦4位以内は絶対だ。過去53回のこの大会に、青学が出場したのはわずか2回。この秋、出場を決めれば23年ぶりとなる。陸上競技部が箱根路に復活したのは33年ぶりだった。
肘井は言う。
「関西にいたら知り合えない人たちと知り合え、友達の輪ができました」
総合文化政策学部で残す単位はわずか1。大阪に本社のある2社に就活中だ。
内定が出れば、関東との縁は薄まるかもしれない。それを見据えれば仲間やクラブ、そして大学への恩返しは果たしておきたい。
新入部員の中には同じ常翔、そしてFLの弟・洲大(しゅうだい)もいる。
兄弟のきずなも使いながら、肘井は関西人の「ど根性」で青学を高みへ導いて行く。
(文:鎮 勝也)