大型化が進む中、その存在は光っていた。
トップリーグ名鑑によると全体で2番目に小さい163センチ、70キロ。WTBでは最小。NECの首藤甲子郎(しゅとう・こうしろう)は今春、33歳のシーズンを前に現役を引退した。「体格を言い訳にしたくなかった。小さいからこそ、ここまでやってきたんだと思う」と胸を張った。
身長は小学6年から変わらない。「高校1年のとき、骨盤を診てもらって『あとどれぐらい背が伸びますか』と聞いたら『良くて1センチ』って。ショックで寝込みましたよ」。大学時代から「出世払いで」トレーナーを雇って体を作った。油ものを控えるなど食生活にも気を配り、社員選手でもプロさながら、個人練習で自分を追い込んでからチームに合流することもあった。
抜群の加速、キレのあるステップ、タイミングの良いハンドオフ。たくさんの武器に磨きをかけ、主戦場の狭いライン際を駆けた。ファンからのねぎらいのメッセージには、同じような小さな選手たちがどれだけ勇気づけられたか、という内容が寄せられた。
26年間のラグビー人生は、さまざまな出会いに支えられた。
九州の親元を離れて神奈川・桐蔭学園高へ。大分ラグビースクールで2学年上だった後藤翔太(元日本代表SH)を頼り、同じ道を進んだ。ただ、花園出場は1年生のときの一度だけ。けがのタイミングも悪く高校代表にも縁がなかった。
高校3年の夏。先に早大に入った後藤からの勧めもあり、菅平の早大宿舎に、自身のプレーを編集したDVDを持って乗り込んだ。清宮克幸監督に頭を下げて直接手渡すと、「おお、そうか」と喜んでくれた。そのかいもあって、早大の推薦を勝ち取った。
首藤は「怖いもの知らずというか、よくあんなことを」と笑うが、道を拓いてくれた後藤先輩がいなければ…、貪欲さをいかにも評価しそうな清宮さんが当時の監督でなかったら…。「いつも周りの理解と手助けに恵まれた」と感謝を忘れない。
入部式から1週間後に一軍で先発出場し、ニュージーランド学生代表を破った。誰もが一目置くエースになり、日本選手権ではトヨタ自動車から大金星。近年の早大黄金期にあって、1学年下の五郎丸歩らと並ぶスター選手といっても過言ではなかった。
だがNEC入社後は、一転して苦境に。実戦練習で対面を何度抜き去っても、レギュラー定着は難しかった。チームカラーでもあるディフェンスの強さが足りない。不完全燃焼の思いを抱えていた先に、また心に響く出会いがあった。
2014年、リオ五輪を目指す7人制代表に選ばれた。レンタルのジャージーに、古びた用具を使い、桑水流裕策、坂井克行らセブンズで長く戦ってきた選手が、愚直なまでの練習を続けていた。「恵まれない環境や過密日程でも、プライドを持って真摯に戦う姿に刺激を受けた」。首藤自身の五輪代表入りはならなかったが、彼らの努力が報われた五輪ベスト4の快挙は、自分のことのようにうれしかった。
その代表招集から、2年ほどで引退を決断。けがや脳振とうが続き、「100パーセントの心でグラウンドに立てなくなった」ことが理由の一つだ。それでも、常に練習には全力で取り組み、後輩に助言を送り、チームのために尽くした。7人制合宿で感じた衝動が、現役生活晩年の活力になった。
今後は社業に専念しながら、新たな夢も思い描く。大学時代から契約していた個人トレーナーの竹田和正氏。今やJリーガーやサンウルブズにも「塾生」がいるその恩師の影響は大きく、首藤もラグビーに限らずアスリートと向き合うことに憧れを抱くようになった。そのための勉強も始めている。
「これまでに出会った人たちがいなければ、自分はここにいない。それが全て。何よりも大事なものを手にできた」
万感を胸に、次は無限に広がるフィールドを駆ける。そこにはきっと、また新しい出会いがある。