東京・浅草生まれの日暮里育ち。7人兄弟の末っ子。3人の子を持つ父。
(撮影/松本かおり)
2月20日で32歳。日本代表キャップも持ち、社会人でのプレーは2016年度が10シーズン目だった。
ただ、キヤノンのことならセレナーズ時代から知っているけれど、人生の中でトップレベルで戦ったのは、チームがイーグルスと名を変えた後、トップリーグに昇格した後の5年だけだ。 そういう意味では世間に広く名が知られてまだ間もない。大学時代は関東大学リーグ戦3部(神奈川大)が戦いのステージだったから、常に強豪チームに身を置いてきた者たちよりは勤続疲労も少ないかも。
山路泰生は「オールドルーキー」と自ら言った。
サンウルブズには今年が1年目も、FWでは38歳のLO大野均に次ぐ年長者(チーム全体では33歳のリアン・フィルヨーンに次ぐ3番目。SH田中史朗、矢富勇毅と同期)。2年目のサンウルブズの始動3日目となった2月3日、東京・辰巳の空は、この日も晴れ渡っていた。
2016-2017年シーズンは全15試合に出場。特に序盤に見せたスクラムの強さを評価され、昨秋は初めて日本代表の一員に選ばれた(アルゼンチン戦&欧州ツアー)。出場できたのはジョージア戦のラスト19分だけにおわったが、12月発表のサンウルブズにも招集され、この国の最前線で戦う機会を再び得た。2019年に向かうジャパンは、代表強化のために創設されたスーパーラグビーチームの先にあると明言されている。嬉しかった。
「あのまま(昨秋の日本代表時のパフォーマンスのまま)ではダメだと思っていましたから、もう一度チャンスを与えられたと思っています。このまま進化できなかったら次はない」
そんな覚悟で初めてのスーパーラグビーへの準備を進めている。
これまでに体験したことのないほどの強烈な圧力。スクラムで粉砕されたジョージア戦の記憶は苦いものとなったが、山路はそれが、この先の自分の財産になると思っている。
「短い時間だけど、こんなスクラムがあるのかと。やられたけど、もっと組んでみたかった」
学んだ。甘かったというか、世界と伍していこうと思うなら、やるべきことがまだまだたくさんあると知った。
「LOやFLの押し、うしろの人たちの力を伝えるスクラム。自分が信じてきた8人一体となって押すスクラムの重要性はそのまま、上半身を使ってこちらを崩しにくる相手に対抗するだけの、個人的な強さも持たないといけない。そう感じました」
一体感や低さ、鋭さ。これまで自分が優先し、こだわってきたことの外にも目を向ける必要性を感じた。体重などの数字では計れぬ領域だ。「体のボリュームをもっと大きくしなければいけない」と話す。
以前からの知人、久しぶりに会った人に、「大きくなった」と言われることがある。体重にはほとんど変化がない。意識改革の成果は少しずつ出ている。
南半球強豪国のトップアスリートたちと戦う場だ。サンウルブズの仲間たちだって、常にトップレベルで活躍してきた選手が多い。そんな中で雑草の自分が生き抜くために大切にしているのが、「自信を持ってやる」ことだ。
「ここにいられるのは、これまでやってきたことを評価されたから。だから自分に自信を持ってプレーしたい。そう思っているんです」
気後れしたり、一歩引いていては損だ。恩師の長谷川慎コーチもいる。積極的に前に出て多くのことを得たい。ジャパンで時間をともにした選手たちの存在も心強いし、みんなナイスガイ。チーム内の壁を作らぬ雰囲気も向上心を後押しする。
「みんな明るいし、すごくやりやすいチームです。ここでいろんなことを吸収し、結果を残す。この年齢です。結果を出していかないと、いつまでも待ってくれない」
レオニッサのヨゼフという洗礼名を持つクリスチャン。自分の力を信じることから、すべての道は始まる。