ラグビーリパブリック

昨年はスタンドにいた。サンウルブズFL三村勇飛丸のシアワセとヤル気。

2017.02.03
もうすぐ28歳のFL三村勇飛丸。刺激を受ける日々。(撮影/松本かおり)
 2016年の春になる頃から初夏にかけて、秩父宮ラグビー場に通った。サンウルブズの試合を見るためだ。
 昨年はスタンドにいた男が、今年はサンウルブズのスコッドに加わっている。2月2日、東京・辰巳。トレーニング2日目に心地いい汗を流した三村勇飛丸は気持ちよさそうだった。
「日本ラグビーの中の最高の選手たちが集まっている集団です。刺激がある。多くのことを学べる」
 所属するヤマハ発動機ジュビロでは主将を務める。スカイブルーのジャージーを着ているときにはチームのことが頭の中の大部分を占めるが、ここでは違う。
「自分が黙っていても(サンウルブズでは)いい言葉があちこちから出てきます」
 7月までの数か月間、この空間で自分をどこまで伸ばせるか楽しみで仕方がない。
 昨シーズン、観客のひとりとしてスタンドに座ったのはスーパーラグビーレベルのバックローたちが、どんな動きをしているかを確かめるためだった。例えばワラターズのマイケル・フーパー。ワールドレベルでは小さな部類(182?)に入り、自分(178?)とそう変わらぬ体格の男が、なぜ高いワークレートで働き続けられるのかを自分の目で確かめたかった。
「テレビ中継の映像では映らない部分まで見たいなと思って」
 昨秋の日本代表に選ばれてテストマッチに出場するまで、本当の意味で世界レベルを肌で感じられる機会はなかった。
「トップリーグの試合で(リコーでジャパンだった)マイケル・ブロードハーストらと戦って、世界のレベルをなんとなく分かった気にはなっていましたが、本当のところは分からないじゃないですか」
 だからどん欲に機会を求めてきた。
 向上心は強い。負けん気も。しかし、最初からジャパンになりたい気持ちを強く持っていたわけではなかった。
「社会人になるときは、ほとんど(トップチームから)誘われることもないような存在でした。(ヤマハへの)入社が2011年で、その年の秋はジョン・カーワン体制の次のジャパンを選ぶ時期だったので少しは意識したのですが…エディー・ジョーンズ(ヘッドコーチ)の日本代表が求めるバックローはラインアウトなどのオプションも持つ、大柄な人が候補になっていたので縁はないかな、と思いました。(2015年のワールドカップで)南アアフリカに勝った試合を見ても、あそこに自分がいて勝利に貢献できたかと考えると、居場所はないように感じました」
 諦めの境地ではない。ただ周囲の現実を考えれば、ジャパンに選ばれたい思いより「いらないと言われるくらいボロボロになるまで、ジュビロでラグビーをやろう」という気持ちの方が強くなっていた。
 しかし扉は開いた。ジェイミー・ジョセフ体制のジャパンが始動した昨秋、ジャパンのセレクションポリシーはサイズではなく、国内シーンでの活躍や低さに変わった。トップリーグの序盤戦から中盤過ぎまで、優勝争いの先頭を走ったジュビロを率いる男にも指揮官の目は届いた。
 アルゼンチン戦、欧州ツアーと続いた秋のテストシリーズで2キャップを獲得した男は、初めて戦ったインターナショナルマッチであらためて己を知った。
「自分の間合いでタックルに入れば倒せるな、と。ただ、それが少しでもずれたらダメ。そういった圧倒的なフィジカルの違いも感じました」
 そんな体感を経て思った。
「戦ってみて分かった差を埋めると同時に、自分に期待されている部分をもっと伸ばす必要があるな、と。大きなサイズの人が10回タックルするのなら、自分はそれではダメ。20回するぐらいじゃないと。低く、激しいプレーを何度でもできるようにしていきたいですね」
 開幕まで3週間。初めて身を置いたスーパーラグビーの環境を「対戦する相手も、同じチームの人たちも、全員が自分より上の存在だと思う。いろんなことを吸収していきたい」と言う。
 2月27日には28歳になる。「年齢も含め、呼ばれることはないだろうな」と思っていた舞台で暴れるチャンス得たことが本当に嬉しい。「足もとを見て、目の前の一つひとつのことに全力を尽くす」ことを積み重ね、ニュージーランドのアスリートや、南アフリカの大男たちに突き刺さる。頭の中には、秩父宮のスタンドからピッチを見つめながら描いたイメージがある。
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