ラグビーリパブリック

もっと頑張れた。玉島高校・16番、藤田直樹の36分。

2016.12.29

写真右が藤田直樹。やれることをやり続けた。(撮影/松本かおり)

 ベンチ横からゴールラインの間を何度かダッシュで往復した。一度目のアップは、前半10分過ぎだったか。FL三宅凌雅が足を痛めて倒れたときだった。
 来たっ! そう思ったけれど、数分間の治療を終えた三宅がピッチに戻ったから花園初出場、玉島高校の背番号16はふたたびベンチコートを着た。藤田直樹の胸の鼓動は高まっていた。
「県内の試合とは違って人(観衆)も多かったし、緊張しました」
 そうやって迎えた前半24分だった。足を引きずりながらも踏ん張っていた背番号7がプレー続行不可能となった。無念の表情でピッチから出る三宅の代わりに、気合い十分の藤田が飛び出していった。
 やっと巡ってきた機会だった。
 1988年の創部以来、初めて全国大会への出場を実現した今年の玉島高校ラグビー部。岡山県予選の決勝は倉敷工と僅か2点差というクロスゲーム(21-19)となり、激戦を制して聖地にたどり着いた。その試合に3年生で唯一出場できなかったのが藤田だった。歴史的瞬間の記憶を、「嬉しさが大きかったけれど、悔しさもある複雑な気持ち」と言った。
 FWならすべてのポジションをこなせる男は、全国大会前にこう話した。
「(リザーブからのスタートのときは)ピッチに立ったら自分が活躍するぞ。いつもそう思って準備をしています。花園で試合に出られたら(予選)決勝の分まで暴れたい」
 その思いを吐き出す機会が巡ってきたのが12月28日の全国高校ラグビー1回戦、対日本航空石川の試合だった。藤田は前半途中から試合終了まで、FLの位置でタックルし、ボールを追った。
 試合には5-93と大敗した。相手にはパワフルな留学生たちもいて、玉島のディフェンダーたちが複数人でタックルしても、弾き飛ばされるシーンが何度もあった。しかし初出場を果たした少年たちは最後まで必死に立ち向かい、後半21分には全員で敵陣深く攻め入り、SO坂本達哉がインゴールにボールを置いた。集中力と結束力が感じられるプレーだった。
 試合後の藤田は、なんともいえない表情をしていた。
「試合に出られたのは嬉しかったけど、負けてしまって、これがこのチームでの最後の試合になりました。それが悔しいです。ただ、みんな低いタックルをしていたし、1トライを取ることができた。何かを残せたとは思います」
 途中出場前。アップ時の心境をこう回想した。
「出たい。試合に出てプレーしたいと思ってアップをしていました。やってやるぞ、と思ってピッチに出ましたが、最初は緊張して思うように動けませんでした」
 やがて試合の雰囲気にも慣れた。でも、誰よりも暴れることはできなかったと唇を噛んだ。
「もっと頑張れた」
 人生って、そんな感覚のくり返し。足りなかったと思う気持ちが、次へ向かわせる。
 ラグビーは高校入学と同時に始めた。先輩から誘われて入部し、最初はなんとなく続けていた。
「ラグビー、最初はあまり好きではなかったんです。(練習が)きつかった。でも、2年生、3年生とやっているうちにラグビーの良さを知り、好きになった。だからやり切れたし、ここまで来られた」
 痛くても低くタックルする勇気。小さくても大きな相手を倒す闘争心や技術。仲間のそんな姿に刺激されたこともあれば、自分がチームを鼓舞したこともある。
「誰が倒れてもカバーしてくれるタフなやつ」と周囲に認められる男は、ベンチからピッチを見つめる人の気持ちが分かる。だから、自分と同じ境遇の後輩たちにいつも声をかけるようにしてきた。FW全ポジションをやるから、練習ではいろんなポジションに入り、スクラムのことも、ラインアウト、サイドアタックと、覚えなければいけないことは人より多かった。ムードメーカーは、ピッチに立っていなくてもできることがあると知っている。
 群れから離れて最初に海に飛び込み、仲間の進むべき道を切り拓くファースト・ペンギンのスピリットは、玉島高校ラグビー部が歴史を変えるきっかけを作り、自分自身をいつも励ましてくれた。これからの人生でも、きっと忘れることのない心意気だ。卒業後は地元の大学に進み、体育系のコースで学ぶつもりだ。将来はスポーツの現場に立ち、ラグビーを広めることもやっていきたい。
 
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