釜石シーウェイブスが苦境に立たされていた。
2016年12月11日、大阪・鶴見緑地球技場。来季新設のトップチャレンジリーグ入りをかけた、参入マッチの第2節があった。釜石はトップイースト3位のチームとして出場。複数の外国人選手など充実した陣容を揃えていたが、大阪府警察を相手に後手を踏む。普段は雑踏警備などへ駆り出される相手に対し、ノーサイド直前までリードを許した。
後半40分、敵陣ゴール前でモールを組む。最後は、普段ならモールに入らないCTBのマイケル・バー・トロケが頭をねじ込み、手にしたボールをグラウンディングした。逆転トライ。バー・トロケは直後のコンバージョンも成功させ、何とか勝利を決めたのだった。40−36。
「残り時間わずかのところ。じっと見ていられなかったので、助けになれればと思って(モールに)入りました」
背番号12をつけ先発したバー・トロケは、身長182センチ、体重100キロのサイズでラインブレイクを連発。計4トライ、30得点をマークした。試合後は、レフリーのヒアリングに同席する。後半14分に退場処分を受けたFLワーウィック・テクレンバーグの問答を通訳し、やっと肩の荷を下ろした。
「疲れました。チームとして悪い入りでしたが、最後の最後に追いついてよかった」
釜石シーウェイブスは、熱烈な支持者に囲まれるチームだ。前身の新日鉄釜石は、1978年度から日本選手権を7連覇。いまも2011年の東日本大震災後の奮闘ぶりで知られている。2015年にプロとして入部した26歳のバー・トロケとて、その根強い人気を実感する。思いに応えたい。
「雪のなかでの練習にもファンの方が来てくれて…。サポーターたちは本当に熱心に応援してくれる」
父のソロモナ・バー・トロケは、かつてクボタ、釜石に在籍したNO8だった。息子のマイケルも幼少期は日本で過ごした。中学1年から高校3年までルーツ元のトンガで生活し、2011年に日大入学のため再来日していた。
そんなキャリアも相まってか。豪快な突破を披露し続けたこの午後も、「まだまだ満足はしていないです」という。
「いまでもいろんな人から『昔の父さんはこんな選手だった』というようなことをよく言われます。少しでも父さんに近づけるように頑張っていきたいです」
国内有数の人気チームにあって、伝説的なOBの父を思う。「もっと強いチームにも対抗できるように」「ディフェンスでも圧倒できるように」など、どうレベルアップしたいかを次々と口にした。
(文:向 風見也)