サントリーのFLツイ ヘンドリックと激しくぶつかるNTTコムのPR庵奥翔太(撮影:早浪章弘)
彼の返信メールはいつも短い。
「関西出身のおすすめ選手はいる?」
「庵奥」
端的に答える。男らしい。
大久保直弥である。NTTコミュニケーションズシャイニングアークスのFWコーチが推奨するのは、PR庵奥翔太(あんおく・かぶと)。日本大を今年3月に卒業した新人だ。
愛称「カブ」は、ここまでトップリーグ10試合中9試合に先発。ウインドウマンス明けとなる12月3日のサントリーサンゴリアス戦もスタートの15人に名を連ねた。
大久保はその理由を簡潔に話す。
「体が強い」
しかし、評価を受ける178センチ、108キロのボディーをフルに活用しても、試合では自由にさせてもらえない。
スクラムを押される。青色のジャージーがめくられ、白色のアンダーシャツが見えた。スコアは5−29。ヘッドコーチのロブ・ペニーは記者会見で開口一番に言った。
「セットプレーとブレイクダウンでドミネートされた」
敗因の1つに上がったスクラム。その最前線で戦った庵奥の表情はさえない。
「相手から見れば左の方に全員で押してきました。うまく対応できませんでした」
アングル的には微妙ではある。しかし、ペナライズはされなかった。リーグ2位を走るサントリーFWの老獪さに屈する。
「社会人になって感じるのは、スクラムで消耗する、ということです。大学時代はスクラムを組んだ後でもバンバン動けたけど、今はそうはいきません」
現段階では、トップリーグの洗礼を浴びている。
しかし、庵奥の起用、そしてその成長はチーム強化に欠かせない。
昨年2015年度シーズンは左PRが定まらなかった。15試合を26歳の上田竜太郎が8、34歳の秋葉俊和が4、32歳の種本直人が3と分け合う。そこに23歳の新星が現れた。30歳を超えたベテラン2人には刺激が生まれ、ジュニア・ジャパンに選出経験のある上田には言い訳のできないライバルになる。
庵奥自身も公式戦で使い続けられることによって著しく伸びていく。「試合は最高の練習」である。
庵奥が生まれ育ったのは「アマ」と呼ばれる兵庫県尼崎市。大阪と神戸に挟まれた関西を代表する庶民的な街である。焼き肉や串カツなど食べ物は美味しく、物価は安い。
「翔太」という漢字は母・美登利が、「かぶと」という読みは父・后郎がつけた。
「父がフォルクスワーゲンのビートルが好きで、そこから『かぶと』とつけたようです」
ドイツ車ながら英語圏ではそのかぶと虫に似る丸いフォルムから「Beetle」と呼ばれたが、それが「名」になった。
珍しい姓は県の西側、岡山寄りにそのルーツはある。
6歳、幼稚園の年長からラグビーを始める。中学まで尼崎ラグビースクールで過ごし、高校は大阪の常翔啓光学園に入学した。高校時代は主にリザーブ席を温める。
だからこそ、現実の厳しさを感じながらも、東大阪市花園ラグビー場での試合に口元は緩む。サントリー戦は10月22日のヤマハ発動機ジュビロ戦に続き人生2度目の「聖地」でのプレーだった。
「すごくいいグラウンドです。芝がスパイクによくかむ。ほかとは違います」
18歳まで生活した関西には愛着がある。
「新幹線に乗って『新大阪』っていう文字を見ると、帰ってきたんやなあ、と思います」
仕事はプロキュアメント部所属。パソコンなど社内用の備品を調達する。朝は西船橋の寮から地下鉄東西線を使い、竹橋のオフィスまで猛ラッシュの中、通勤する。
「体を小さくして電車に乗っています」
日々の練習では瞬発力アップに力点を置く。60キロ程度のバーベルをかついで、太ももを素早く胸につけるトレーニングを繰り返す。
「スクラムはもちろんですが、フィールドプレーで貢献できるようになりたいんです。ほかの人と差をつけるとしたらそこではないかと思っています」
ラグビーでも、仕事でも、もまれる中、目標を語る。
「いつか日本代表になりたいです」
大久保は庵奥になりかわる。
「サントリーや神戸製鋼やヤマハなんかの対面はジャパンでしょ? 今に見てろよ、って感じですよ」
コーチが教え子に見据えさすのは、畠山健介、山下裕史、伊藤平一郎ら日本のスクラムを支える男たちである。
バレーボール出身の大久保は法政大入学後にラグビーを始め、FLとして日本代表に上り詰めた。キャップは23。ワールドカップは1999、2003年と2大会連続出場する。所属したサントリーでは監督もつとめた。
その自分の出発点となった苦労だらけの大学1年生を社会人1年目にだぶらせる。
庵奥はそれだけの期待を抱かせる新人ということである。
(文:鎮 勝也)