ラグビーリパブリック

15人の灯を消さない 兵庫・灘高校

2016.11.10
校内にある嘉納治五郎氏の銅像の前に立つ武藤暢生先生、原虎之介君、中田都来君、和田爽君(左から)
 灘高校にとって、全国大会予選そのものよりも、メンバー集めこそが一大事でした。
 兵庫県にあるこの国トップの進学校は今春、東京大94人、京都大47人の合格者を出しました。3年生部員は大学入試集中のため、6月の甲南との定期戦で引退します。
 通常、花園予選は1、2年生だけで戦います。ところが大会1か月前の9月、部員は9人しかいませんでした。保健・体育教員でもある監督の武藤暢生先生は振り返ります。
「そこから部員たちがいろいろな人間をくどいてくれました。僕も声をかけました」
 まず、生徒会活動や勉強のために、6月に退部した2年生の橋本拓幸君(HO)、按田大志君(SH)が戻ります。同学年で野球部を辞めた阪上慶一郎君(LO)も入部しました。
 この段階で12人。続いて6月に引退した3年生の原虎之介君(NO8)が復帰します。サッカー部を引退していた和田爽君(WTB)も加わってくれました。
 原君は芦屋ラグビースクールの出身です。
「9月にチームを見たら、どんよりしていて、やばかったです。その時に『出てくれんか』と言われたので、戻ろうと思いました」。
 和田君は理由を口にします。
「学校の廊下でラグビー部の3年生が『メンバーが足りない』と話していました。それを聞いて、僕でよかったら出させてもらおうかなあ、と思いました」
 サッカー部員からは言われます。
「戻ってくるんやったら、こっち違うの?」
「そっちはたくさん部員がいるやん」
 和田君は中学時代、地元三田地域の選抜チームに入るほどの選手でした。
「サッカーはシュートを決めても、『まあ、決めたわ』って感じですけど、ラグビーでトライをとったらとてもうれしいです」
 灘にはラグビーに抵抗なく入ってこられる下地があります。
 柔道の授業に力を入れており、タックルを受けた時に必要な受け身ができます。武藤先生は話します。
「保健・体育教員は5人いますが、そのうち2人は柔道出身です」
 「柔道の父」と称される嘉納治五郎さんが1928年の開校当時、学校顧問をつとめていました。そのため、柔道は灘における「校技」のような感じになりました。
 また、武藤先生自身も授業でタグラグビーを教えています。
 14人が集まり、あとは6月に引退した3年生3人、塩崎洸(こう)君(FL)、吉村圭祐君(CTB)、中田都来君(FB)が受験勉強をいったん棚上げして穴を埋めました。
 今回の花園予選では合同2に41−7、鳴尾に100−8。10月30日の16強戦で春の準優勝校・関西学院に7−70で敗れました。
 塩崎君は1、2戦、吉村君は2戦、中田君は3戦目に出場しました。
 西神戸ラグビースクール出身の中田君は、灘から16年ぶりに国体の兵庫県選抜に選ばれました。近畿ブロック予選では本大会優勝の奈良県(御所実単独チーム)に5−31で敗れましたが、後半14分に交替出場します。
 関学戦ではスピードと体の強さで、前半チーム唯一のトライを挙げました。
「完封されなくてよかったです。試合では後輩の成長を実感できました。ラインアウトなどセットプレーの精度が上がっていたり、うまくなったなあ、と感じました」
 中田君の志望は筑波大医学群。淡路島で内科医として開業しているお母さんの影響もあります。大学に合格すればラグビー部に入部して、秩父宮でのプレーを目指す予定です。
「ラグビーの強さももちろんですが、僕はスポーツドクターになりたいんです。筑波には体育専門学群があり、いろいろな競技のトップアスリートと交流できるのも魅力です」
 高校ラグビーを終える前から、苦手の英語を克服するため、塾に通っています。
 武藤先生は合同ではなく、15人での単独チームにこだわる理由を説明します。
「ウチは今年創部70周年なのですが、OBたちは強さではなく、単独での存続を求めています。そのOB会は閉鎖的ではなく、外から来た僕みたいな人間を可愛がってくれました。だからこそ、その意思を汲んで、チームを将来につなげ、恩返しがしたいのです」
 武藤先生は現役時代FL。兵庫・御影(みかげ)から日本体育大に進み、2001年4月に新卒赴任しました。以来17年間で15人が組めず棄権したのは1度きり。6年前の新人戦だけケガ人の多さから出場を断念しました。
「まあでも僕なんかよりも、生徒らがなんとかしようという思いが強いんです」
 灘はほぼ中高一貫。中学は1学年約180人、高校では外部から約40人が加わります。学年担任団は6年間持ち上がり。それらが生徒間のきずなを強めるのでしょう。
「ウチはガリ勉でドライととらわれがちですが、生徒たちは実は義理人情に厚い。僕は教員としてそこに助けられています」
 3試合すべてに出場した原君は言いました。
「大学に落ちたら、ラグビーに戻ったことを後悔するかもしれません。でも、今はやらずに卒業するよりよかったと思っています」
 みなさんの人生に幸多かれ。
(文:鎮 勝也)