ラグビーリパブリック

学生諸君へ ラグビーに人生をかけているか?

2016.10.05
2016関西大学Aリーグの天理大×京都産業大戦(撮影:松村真行)
 今から30年ほど前、関西大学Aリーグは死闘の連続だった。同志社、大阪体育、京都産業。毎年この3チームが優勝を争った。
 中心は同志社だった。大学選手権では3連覇を含む4回の優勝記録があった。
 同志社のFLとしてその時代を生きた中尾晃(現同志社GM、関西大学リーグ副委員長)は振り返る。
「ほんま、俺らが学生の時は試合をすることが怖かった。特に体大のラック、京産はスクラムやったな」
 中尾は1985年入学。その後の4年間、花園、西京極、神戸中央(現ノエビアスタジアム神戸)などいたるところで僅差の激闘を経験する。中尾は続ける。
「体大の試合でラックに入るやん。『よっしゃキープできた』と思った瞬間、体大の奴が頭から飛び込んでくるのよ。ドカーンって。まるで魚雷。それが一発やない。ドカーン、ドカーンと続けざまに3人くらい来るのよ」
 大阪体育は、今ではオーバー・ザ・トップ(倒れ込み)に該当する体当たりをラックでかました。
 中尾は話す。
「試合が終わって、ジャージーを脱いだら、体は傷だらけ。むちゃくちゃ痛かった」
 荒っぽさは勝利追求の裏返しだった。
 大阪体育のFL永田克也は同志社戦前にジャージー姿を後輩にカメラで撮らせた。中尾の1学年上である。監督だった坂田好弘(現関西ラグビー協会会長)は怒鳴りつけた。
「試合前になにチャラチャラしてるんや!」
 後年、伊勢丹(現在は廃部)に入り、日本代表の下、日本選抜に選ばれる永田は答える。
「僕は死ぬつもりでこのゲームに出ます。もし、本当に死んだら、この写真を両親への形見にしたいんです」
 坂田の目はうるんだ。
 中尾の2学年上、FBだった村上晃一(現ラグビージャーナリスト)は坂田の言葉を覚えている。
「同志社に勝つことは、人生に勝つことや」
 試合に負けた日、坂田の妻・啓江(けいこ)はおびえた。
「あーあ、今晩はお父さんが怖い。どうしよう…」
 当時も今も仲睦まじい配偶者が恐れるほど、勝ちにこだわっていた。かけていた。
 それは選手も同じだった。
 京都産業の監督・大西健はチームに約2時間の朝練習を課した。そのため、以前は30年以上も朝4時に起き、5時前には教授として与えられている研究室に入っていた。
「どうして6時スタートなのに、5時に行く必要があるのですか?」
「トレーニングする柔道場のカギを開けてやらんといかんからね。意識の高い学生は5時半には来る。俺を待っているの」
 その京都産業で忘れられない光景がある。
 3時間ぶっ通しの8対8のスクラム練習で、選手たちはヘロヘロになり、殺気立っていた。4年生HOの「ダンジ」が1年生ながら右PRに抜擢された「おいどん」をスクラムバインドのまま投げ飛ばす。
「たのむし! 押せや! おまえのせいで、俺ら押せへんねん!練習が終わらへんねん!」
 110キロ近い体が転がされる。相撲場での稽古を見ているようだった。
 練習後、おいどんはしゃくりあげながら、スクラムサイドについていた大西の前に立つ。
「もうできません。辞めさせて下さい」
「それでええんか? おまえは自分の人生を投げ出すのか?」
 静かに聞き返した大西の姿においどんの涙は止まる。その夜、ダンジはおいどんを連れて、北大路の熊本ラーメンに行った。
 熊本・文徳高校出身のおいどんの好物を確認しての行動である。
 ダンジにすくい投げられても、泣いてもおいどんは逃げなかった。ラグビーにかけた。
 4年生になった2003年、コカ・コーラウエストジャパン(現レッドスパークス)から声がかかる。世界規模の一流企業に就職でき、九州代表に選ばれた。
 おいどんの名前は松尾健である。
 松尾は今年6月、地元で起こった地震による被災者を励ますため、元日本代表主将のSO廣瀬俊朗(東芝)らと小学校でタグラグビーを指導した。
 松尾をはじめ、たくさんの涙が作り上げたスクラムは京都産業の代名詞になる。
 中尾は言う。
「大西先生はずーっとこだわってきたやろ? かけてきたやろ? だからあのチームは勝ち負けに関わらず人を引き付けるんや」
 坂田も尊敬の念を込めて語ったことがある。
「今のAリーグのチームで、Bに落ちたことがないんは同志社と京産だけや」
 同志社はリーグ創設から、京都産業は1974年の昇格以来40年以上もAにいる。そのすべてを指揮したのは大西だ。
 67歳になった現在でも大西は朝練習に付き合う。今は京都洛西の自宅を出て、グラウンドから車で5分ほどの北山で一人暮らしをしている。理由は「朝練習に遅れないため」。長年連れ添った、料理上手の妻・迪子(みちこ)の元に帰るのは週1回しかない。
 10月2日、関西リーグの第2節で摂南は同志社に7−92と大敗した。
 ラグビーのベースであるセットプレー、特にスクラムで勝りながら、トライ数は1−14。試合後、ヘッドコーチの内部昭彦は、選手たちがストレッチをしている前で呆然と立ち尽くしていた。あまりの悔しさや自分に対する不甲斐なさで、そういうポーズになった。
 そのコーチの気持ちを理解する選手がどれだけいたのか。最初から同志社にかなわない、と思っていなかったか。そうでなければ、スクラム有利での大差負けは説明がつかない。内部の大学時代の恩師は坂田である。
 摂南には昨年、FL森山皓太がいた。
 同ポジションで、奈良・天理高校3年時の1984年度に高校日本代表の主将にも選ばれた中尾は振り返る。
「俺、あの子好きや。だって体張るもん」
 森山は昨年、京都産業、関西学院に開幕連勝した後、うれしさのあまり、1人グラウンドで号泣した。
 かけていた証しだった。
 就職先は中国電力。最初に声をかけてくれたチームに決めた。日本屈指のエネルギー会社に入れたのは、栄養満点の摂南飯を食べ、ラグビーに集中していたからである。
 開幕連敗の摂南は、今こそ先輩・森山の姿を思い出すべきだろう。
 摂南が同志社に大差で敗れた同じ日、関西学院は立命館に21−34で敗北した。0−29だった前半で試合は決まった。
 関西学院は開幕から2試合、GMの大石修が監督代行をつとめている。今年度から監督になった大学職員の大賀宏輝は8月の長野・菅平での夏合宿に参加していない。10月9日の第3戦・天理戦で復帰予定だが、現在はOB会の裁定により指導停止中である。
 学生と首脳陣との間に指導方法を巡り、確執があったからだ。
 それ自体は構わない。もともと、関西学院は学生主体のチームであるし、体制に反抗するエネルギーは若さの特権でもある。
 ただし、反抗には責任がつきまとう。
 OB会が主導して選んだ指導者を拒否したのなら、学生自身が自らを律して、成績を残さなければならない。
 グラウンドのある上ヶ原にはケガのリハビリをする部員がいる。彼らは女子トレーナーの周囲で遊んでいるように見える。
 ケガ人は1日も早く治療を終え、チームに復帰するべきだ。それはチームや他の部員たちのためでもある。迷惑をかけているという思いがあるのなら、歯を見せず、しかめっ面で、一心不乱にリハビリに励むべきだろう。ケガの部位も、軽重も、回復具合も違うのに、群れ集まって復帰へのトレーニングをしている姿は理解できない。甘っちょろい。
 かけるということは、「革新」と書かれた横断幕に決意を書き込むことではない。
 女子スタッフを含めた1人1人がラグビーを生活の中心に据え、日々を過ごすことだ。寝ても覚めてもラグビーを考える。異性やゲームに流れず、青春のすべてを捧げる。
 そして、その思いは自分の胸に秘める。人に知らせる必要はない。物のわかった人が見れば、その気持ちは必ず伝わる。
 立命館戦では主将でもあるSO清水晶大のタックルが光った。特に後半22分、スクラムサイドを突いて来た相手に前のめりに刺さった。1年時、ディフェンスではFB高陽日(こ・やんいる、現大阪ガス)とポジションチェンジしていたひ弱さはない。「タックルに行かない」という噂を聞いていたが、体をガツガツ当てていた。左ヒザには肌色のテーピングがぐるぐる巻きになっている。
「ディフェンスがよくなったね。だいぶ練習した?」
 質問には短く返す。
「立場だけです」
 4年生になって、主将になった中で起こった不協和音。それを「雨降って地固まる」という言葉さながらに、もめ事を良い結果に導くべく、清水は苦手な守りを磨く。
 その姿は最終学年にかけているように映る。
 関西リーグではここ数年、わずかな例を除き、出し尽くして試合後にグラウンドで倒れたり、悔し涙にぬれたような、かけた選手に出会った記憶がない。
 同じ大学生でも帝京はかけている。だからこそ選手権8連覇に挑めるのだ。ラグビーへの向き合い方の差が、大学選手権における関西枠の削減(5→3)にもつながっている。
 かければすべてが変わる。
 それは、「命がけ」ということなのだ。そして、その期間は長い人生のたった4年である。
 かければ、レギュラーになれ、試合で勝てる。選手権にも出られる。自分の好きな就職先を選べる。そのステージに応じた美しい異性も現れる。可能性が広がる。
 もちろん、かけたからといってすべてが自分の思い通りにはいかない。みんながみんな成功者になるほど人生は甘くない。
 それをわかった上で天理大学柔道部監督の穴井隆将は言う。
「世の中、報われない努力はたくさんある。でも自分にとってムダな努力は1つもない」
 ここでの「努力」は「かける」に置き換えられる。
 少なくとも、成人式前後で勝負をあきらめるのは早すぎる。人生において負け犬になるのはもう少し先でいい。
 学生諸君、大学で真剣なラグビーを選んだのなら、かけようぜ。
(文:鎮 勝也)
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