トップリーグ(TL)2016-17年シーズン第5節の10月1日(秩父宮ラグビー場)。近鉄ライナーズは後半の逆転でクボタスピアーズを29−20で破り、総勝点9(得失点差-12)とし9位となった。クボタに勝点を与えなかったことで同じ総勝点でも得失点差(クボタは-24)で上回った。
近鉄が逆転後の後半23分、ピッチに登場したのがSH金哲元(キム・チョルウォン)だ。
前節のNTTコミュニケーションズシャイニングアークス戦(9月17日)でTL出場100試合を果たしたベテランSH。いつものようにタッチラインでひざまずいて礼をしてグラウンドへ入った。「試合は勝ちましたが、ケガ人がたくさん出てチームは大変です。夏から合わせてきたメンバーが開幕戦でケガをして変わり、新しいメンバーと合わせてもケガをする。崩れたものを一からやり直している」とチーム内の危機感を代弁した。
試合後、金に100試合出場達成の感想や今季への思いなどを聞いた。
―100試合達成の率直な感想は?
「自分ができるとは思っていなかった。100試合出場を知ったのは最近でした。試合に出ることが大事だったので。ただ100試合、何年かければ自分でもできるかなと思ったことがありました。2年前(2014年12月)、トム(LOトンプソン ルーク、12月13日)、重さん(SO重光泰昌、12月21日)、幹夫さん(FL佐藤幹夫、12月28日)と先輩3人が相次いで100試合を決めた。頑張ってやろうかな、と」
―達成できて思うことは?
「一番はケガをしない体に産んでくれたお母さんに感謝します。結婚(2015年)して生活を守ってくれる奥さん、チームのメンバーに感謝しています」
―今シーズンで近鉄入団10年目を迎えた。10年間、日本でプレーできると思っていた?
「思っていませんでした。続けることができたのは単純にラグビーが好きだからじゃないかな。途中で飽きたら辞めていたかもしれないし。今までラグビーしかしてないし、好きだし。10年目といっても食事は特に変わっていません。若い時よりは試合後のケアに時間をかけるようになりました」
金は1984年1月、韓国で生まれた。ソウル市にあるカンジン中で楕円に出会った。名門の養正高(ヤンジョン)に進んだ。3年の3学期、日本留学を決め朝明高(三重県)2年生に編入した。朝明高卒後、大阪体育大へ。強気なリード、自分でボールを運ぶSHとして大学ラグビー界でも人気を呼んだ。そして2007年に近鉄へプロ選手として加入した。
その年、大きなことが金に起きた。9月にフランスで開催されるワールドカップの日本代表バックアップメンバーに選ばれた。それまで代表経験、キャップはゼロだった選手だ。
9月12日のフィジー戦で大学同期のSH矢富勇毅(ヤマハ発動機ジュビロ)が負傷した。交代要員としてメンバーに登録。20日のウエールズ戦で背番号20をつけた金は後半26分にピッチへ入り初キャップを得た。韓国人としてワールドカップ初出場の名誉を打ち立てた。続く最終戦(25日)のカナダ戦でも後半途中で出場し、12−12の引分けを演じた。
金のプロフィールに日本代表キャップ2がある。つまりこのワールドカップのみの記録だ。以降も代表には呼ばれていない。一方、関西リーグのよきライバル京都産業大で同期のSH田中史朗。リーグ戦で雌雄を決したが代表では金、矢富に先を越されたものの2008年5月に代表デビューを遂げた。以後、2011、2015年ワールドカップ出場を果たし日本ラグビー界の顔となっている(キャップは54)。
―今、2007年のワールドカップに出場したことを振り返ると?
「去年の日本代表の活躍を見ると自分が代表だったのが恥ずかしい…。僕は若干、早く代表に入ったけれど運が良かっただけです。今は実力が伴っていないので代表に呼ばれることはないでしょうね。フミはすごいなと思います。昔は何度か飲みに行きましたよ」
―日本で長くプレーする秘訣は?
「結局、むいているかどうかですね。実力があっても日本のラグビーにむいていず付いて来られない選手もいますし」
―TLに多くの韓国人選手がやって来てプレーしています。一番、良い選手はいますか?
「パナソニックの劉永男(ユ・ヨンナム)さんです。日本にいる釜石SWの許雄(ホ・ウン)は同学年。よく連絡とっています。韓国の同期はみんな引退しました。高校の時にハーフ団を組んだユンヒョン(呉潤衡、現在も韓国15人制、7人制代表。韓国電力SO)は1年下。今も第一線でプレーしています」
その呉は金のことを「高校時代、特に勝負への欲が強力だった。夜遅くまで個人練習もしていました」と振り返った。
―帰化もして日本人になった。いつまでラグビーを続けますか?
「何年後とか思っていません。今年、ケガをして終わるかもしれない。チームから『お疲れさん』と話が来れば終わるし。1年を一生懸命やるだけです。ただし2019年、日本でワールドカップの年までは続けたい。一選手としてワールドカップの試合を見て体験できれば。親も日本へ呼んで一緒に生活したいです」
―指導者としての道もある?
「僕は人を教えるセンスが無いから。やってみたい気持ちはありますが」
ラグビー解説者で、日本代表や近鉄でもハーフ団を組んだ大西将太郎氏は「(最近)チョルウォンも大人になりましたね」とグラウンドでの落ち着いてきたプレーを評した。強気に円熟味を増せば、まだまだトップを走れる金だ。
(文:見明亨徳)
ベンチから戦況を見つめる金哲元(撮影:見明亨徳)