地域リーグ、トップイースト(TE)は来季のトップリーグ(TL)昇格を目指した戦いを続けている。
TEでもアジア枠で出場しチームに貢献する韓国人選手たちがいる。
横河武蔵野アトラスターズ。今季、開幕戦でセコムを下したが三菱重工相模原、東京ガスに敗れた。今年からチームはNPO法人化し地元密着を目指す体制へ変わった。LO延權祐(ヨン・グォンウ、1985年1月生まれ)はTLがアジア枠を導入する1年前の2007年に横河へ加入した。31歳になった今シーズンもタックル、ペネトレーター(突破)で奮闘する。
9月24日の東京ガス戦は前半から押され、19−50で負けた。試合後、延は「きょうは前半から外国人2人(FLフランソワ・エイスとNO8ラディキ・サモ)が自分たちで行けると判断してしまった。FW、BKがバラバラになった。ハーフタイムで話したが遅かった」と振り返った。
NPO化して一度、強化を辞めたチームには、元オーストラリア代表で2007〜2009年度在籍したサモが戻ってくるなど、少しずつではあるが前へ歩む。
延は横河の正社員。高麗大を卒業しすぐ日本へやって来た。日本へ来日する前年、2006年秋の全国体育大会で所属する高麗大は大会10連覇をかけていた三星SDIを破り、韓国ラグビー史に名前を残している。横河入社前、実は別の日本チームに入る予定だったが採用の話が一方的になくなり、関東協会関係者らの尽力で横河へ入ることができた。
入社1年目でチームはTEを通過し翌年のTL昇格を決めた。しかし1年間で降格。2009年に延は国へ戻り、兵役を送るために韓国軍体育部隊(尚武)へ入隊した。その間、チームは延を待っていてくれた。2年間の兵役を終え2011年度から横河へ。「本当ならば会社を辞めないといけないかもしれないが、横河に戻れたことを感謝しています」。
15人制代表、7人制代表の常連だ。今春もアジア選手権に出場した。しかしもどかしい思いがあった。韓国代表は初めてニュージーランド出身のジョン・ウォルターズ氏が指揮をした。2019年のワールドカップ日本大会出場への第一歩だったが、思うような戦いができなかった。
「初めて代表になった若い選手たちも多かった。監督が戦い方を話すのですが若い選手たちは理解できない。私や朴淳彩(パク・スンチェ、NTTドコモ)らが説明してもすぐに忘れてしまう。毎回毎回、同じ話になり大変だった」という。コミュニケーション方法の問題、若手の意識向上など課題が山積しているという。
延は日本にやってきて10年となった。「日本で長くラグビーができるとは思っていませんでした。チームで上から2番目になってしまった」。しかし韓国代表もまだまだ続ける気持ちに変わりはないという。
「日本で長くプレーするためには自分自身でやり抜くという努力をしないといけない。それに、いかにチームが求めるプレーをできるか。韓国で、どんなに代表経験があっても日本ではチームに貢献できないと試合に出してもらえない」と今、日本に来ている若い選手にも覚悟を求める。
延が「チング(友だち)」と呼ぶ同じ年の韓国人FWが1人、今年、TEの釜石シーウェイブスでプレーを始めた。PR許雄(ホ・ウン)。2人は誕生月まで同じだ。
9月25日の日本IBM戦(50−0)でも先発し、スクラムを押し上げブレークダウンへは体を投げ出していた。高麗大の永遠のライバル、延世大を卒業し尚武へ。2009年度、延と入れ替わるように日本へやってきた。トップウェスト(TW)のNTTドコモレッドハリケーンズに。すぐさま韓国人PRが持つ大きな体をいかしスクラムの核になった。
チームは2011年度にTLへ昇格し順調に来たが、昨年度入替戦で敗れ、5年ぶりにTWへ降格となった。許は2013年度にTL13試合(先発3試合)に出場し、自身のキャリアを積み上げてきた。しかし翌年からケガで2年間は出場無し。またチームにLO朴が2年前に加入しアジア枠で出場する機会を争うことも影響した。そして今年ドコモを離れ、新たにチームを探すことに。許は「釜石から声をかけてもらいました。トライアウトを受けて決まりました」と経緯を話した。
それまで釜石のことを詳しく知らなかった。トライアウトを受けてから「7連覇をした日本でも歴史があるチーム。街がラグビーで盛り上がっている」ことを体感した。「練習試合でもたくさんの方が応援に来てくれる」と、東北で新しいラグビー人生を歩み始めた。釜石のラグビーは楽しいという。「ドコモよりもシンプルで僕に合っている」。スクラムを押し、ボールをもらうと走る。そしてタックルする。高度化された現在のラグビーでも基本を忠実にやり遂げようとする釜石ラグビー。そして今季は「TLに昇格するためにチームに尽くすこと」(許)だ。
釜石の日本代表レジェンドFW伊藤剛臣らから「昔の日韓戦の話を聞きます」という。実は久しぶりに今春、韓国代表復帰の話が届いたが「移籍したばかりなので釜石のチームの一員になるために断りました」。
「本当はドコモでラグビー人生を終えて引退したかった」。だが釜石で次の目標を決めた。「35歳までラグビーをプレーする。35歳は2019年ワールドカップの年。釜石でも試合があるし、試合を観たいですね」。一方で、韓国代表へ復帰し、地元のファンの前でワールドカップ初出場を決めた韓国が試合をする姿(それは釜石代表でもある)を見せたい。
関西から釜石には1人でやって来た。独身生活を送っている。夫人が日本IBM戦の前週に韓国で3人目の子どもを出産した。家族を支えるプロ選手の父親は「頑張らないといけませんね」と笑う。
(文:見明亨徳)
釜石で35歳までプレーすると語った許(撮影:見明亨徳)