2013年7月、関東大学オールスターゲームに出場した頃の中澤健宏(撮影:松本かおり)
やはり、あのゲームは人の一生を変えていた。
2015年9月19日、イングランドはブライトンコミュニティースタジアム。4年に一度のワールドカップに臨んだ日本代表が、過去優勝2回の南アフリカ代表から大会24年ぶりの白星を奪った。ラストワンプレーでWTBのカーン・ヘスケスが逆転トライを決め、34−32で番狂わせを演じたのである。
当時、みずほ銀行田無支店に務めていた中澤健宏は、テレビの画面を向こうにただただ感動。さほど時が経たぬうちに、転職を決意する。
いまはリコーへ中途採用され、ラグビー部へ入部。公式記録に「身長181センチ、体重86キロ」という数字を刻み、日本最高峰であるトップリーグの開幕を待つ。
精悍な顔つき。両手を腰の前に揃え、ただただ謙虚に言った。
「まずは試合に出たいですね。1つひとつ、目標をクリアにしていきたいです」
埼玉県立所沢北高出身。ラグビー選手として関東地区の記者に囲まれたのは2013年7月7日、東京・秩父宮ラグビー場でのことだ。
この年から始まった、年に一度の関東大学ラグビーオールスターゲームに出場した。下部リーグに所属していた立大から対抗戦選抜に呼ばれ、最後尾のFBで先発を務める。
周りには大学選手権を連覇していた帝京大の中村亮土主将や早大の金正奎ら、その後も国内トップレベルの舞台で活躍する同級生が並んでいた。自身も思い切りのよいランを繰り出したが、スター候補たちとは別な道を歩んだ。この時、すでにみずほフィナンシャルグループの内定をもらっていた。報道陣には「卒業後はいい社会人になりたい」と応じた。
上司にも良くしてもらえたこともあり、社会人生活は充実していた。関東社会人リーグ1部に所属する会社のラグビー部に入り、週末は大好きな楕円球も追いかけていた。このまま一大メガバンクでキャリアを積むはずだったが、あの時、考えが変わった。
いずれ「ブライトンの奇跡」と呼ばれるあの80分を体験。沸き上がった気持ちを、こう振り返る。
「関東大学オールスターに選んでいただいた時のチームメイトは、次の大会で活躍するんだろうな…と思って。自分も、そこを目指したい。高いレベルに挑戦したい」
大学時代のヘッドコーチだった遠藤哲を頼って、下部リーグも含めた各クラブの関係者を紹介された。田無支店の上司に夢を伝えたら、反対されるどころか応援してもらえた。有給休暇を使い、いくつかのチームでトライアウトも受けられた。
「みずほ銀行のラグビー部には、いまもたまに顔を出しています。リコーでもみずほ向けの営業をしていて、銀行に行ったりはしています。当時の支店長に理解があって、ありがたかったです。いまは別の支店に異動したのですが、試合に出られるようになったら挨拶に行こうと思います」
もともと本人は「銀行で働いていた経験も活かしたい」「やはりトップリーグで」と考えていた。目の前に与えられた選択肢のなかで、リコーがベストだと感じた。
あの南アフリカ代表戦から約3か月が経った12月中旬。東京は世田谷の本拠地へ招かれた。この日はリコーの控えチームが、練習試合をする予定だった。相手はトップキュウシュウの宗像サニックス。直後のトップチャレンジで2季ぶりのトップリーグ復帰を目指していた頃で、マッチメイク自体が伏せられていた。
WTBとして後半開始から出番をもらった中澤の対面は、なんと、当時のヒーローたるヘスケスだった。豪快な正面衝突を持ち味とするランナーを向こうに、リコーの「練習生」は生来の身体能力をアピールする。マッチアップすれば、ゲインラインを割らせない。
仲間たちの感嘆を呼んだのは、このシーンだった。
「自陣22メートル線と10メートル線の間ですね。相手が大外を抜けてきたところを…」
ビッグタックル。トップスピードに乗った男を、タッチラインの外へ寄り切った。
ここで、事実上のテスト合格を手繰り寄せた。翌年1月、4月1日からの中途採用を決めたのだった。
「チームの方には、ここ4〜5年くらいはなかった中途採用の門戸をこじ開けていただいた。本当に、特例扱いで採っていただいて…」
結局、今季からの昇格を決めたヘスケスは、まさかあの冬の相手が自分のおかげでトップリーグに挑めるようになったとは思っていないだろう。中澤は「身体は作れたとは思いますが、ラグビーの面では(同じポジションで)3、4番手です」としながら、やはり、ヘスケスとの再戦を望んでいる。
「もう一度ラグビーをやりたいと思ったきっかけも、リコーに入れたきっかけも、ヘスケスさん。かなり、感謝しています。一方的ですが」
宗像サニックスとぶつかるのは2017年1月8日、東京・駒沢陸上競技場でおこなわれるリーグ戦の第14節である。
(文:向 風見也)