ラグビーリパブリック

目指すのは名門復活 法政大学新ヘッドコーチ・苑田右二

2016.04.14
懐かしいグラウンドで再び勝負をかける。
 人生を賭け、東京・八王子に戻った。
 4月、法政大学のヘッドコーチ(HC)に就任したのはOBの苑田右二である。
 3月末で勤続20年、総務部課長の肩書があった神戸製鋼を退社する。コベルコスティーラーズでは、2010年度から4年間、HC(監督)をつとめた。
 管理職の座を投げうって、多摩キャンパスにあるスポーツ健康学部の大学院で修士課程を勉強する。生活の糧はHCとラグビー部寮の寮監で得る。
「三足のわらじですね」
 口元を緩める。1973年7月5日生まれの42歳。髪には白いものが混じり始めている。
 神鋼HC退任後の2年間でラグビーへの渇望を感じた。年に数回指導した山口県立山口高校が今年3月、第17回全国高校選抜大会に初出場したことも背中を押した。
「人生は一度ですから。恩返しもしたかった。母校も条件を整えてくれました。感謝しています。それに嫁もラグビーをしている時の顔の方が好きなようなので」
 2歳の娘を含めた家族3人で臨海の神戸から丘陵の街に引っ越してきた。
 グラウンドでは監督・谷崎重幸を支える。
 ホイッスルを吹き、選手の傍らに立つ。
 新主将の坂本泰敏は、苑田の現役時代と同じSHだ。
「例えば、練習中にしんどくなって膝に手をつきます。それはダメだとわかっています。でもついそれをやってしまう。そうしたら、『はい、ダッシュ』と走らされます」
 新HCは理由を言う。
「ラグビーは弱い姿を味方にも敵にも見せてはいけない。平然とした顔できつい選択をしていかないと勝てません」
 今年のスローガンは「REBORN」(生まれ変わる)。坂本たち選手は、苑田のコーチングを理解する。
「練習内容はゲームに近いです。高い強度が求められるし、コンタクトも多い。でも勝てるチームになる土台を作るためには、それを乗り越えていかないといけません」
 学生たちはチーム目標を立てた。
「リーグ戦優勝、大学選手権トップ4入り」
 苑田はそれにかぶせる。
「そこに行こうと思ったら、トップリーグのベスト8レベルにならないとダメ。帝京大はそのレベルでやっているんですから」
 甘えを許さない教えは、高校、大学、社会人とすべてのグレードで全国優勝した経験が下地にある。
 啓光学園(現常翔啓光)は第71回全国大会、法大では第29回大学選手権、神鋼ではトップリーグの前身となる第52、53回社会人大会と第37、38回日本選手権。獲得した日本代表キャップは18になる。
 大学時代のVはチームとしては最後となる3度目の学生日本一。SO中瀬真広(現東京ガス)と1年生HB団を組んだ。年度は1992。それから23年間、母校は覇権から遠ざかったままだ。
 所属する関東大学リーグ戦1部では13回の優勝があるものの、2004年を最後に11年頂点に立てていない。
 勝利を義務付けられる中、監督4年目の谷崎は苑田の良さを指摘する。
「引き出しが多く、プランニングがうまいですね。1、2、3と段階を引き上げた練習が、終わりには1つにまとまっています」
 グラウンド4分の1以下の広さで、タックルバックを使って始まった試合形式の練習は、最後には全面を使い、フルコンタクトになる。極地から大局へステップアップさせる。
 谷崎のデスクにあるホワイトボードには練習内容とその度合いが、「強」、「最強」、「軽」、「中」と書き込まれている。谷崎は続ける。
「経験があるがゆえに、強弱をしっかりつけています。疲労があれば、内容を落としたりもできますからね」
 その指導は、事前に決めたことをやり切るのではなく、選手の顔色を見てメニューを変える。柔軟性がある。
 40分ハーフの試合時間を想定した90分の練習では、20分残しの70分で打ち切ることもある。苑田は説明する。
「いい加減にやり出したら、続けていても仕方がない。ケガをしますから」
 トップリーグにおける4年の指導は苑田の中に息づいている。
 1924年(大正13)創部の法大は、90年を超える歴史の中でスタイルを作った。
 ハンズと呼ばれる手首を使ったパスを軸に深く、広いラインを使ったアタックとヒザ下へのチョップ・タックルである。
 戦術は時代とともに変化しようとも、苑田をはじめとする指導者、選手、OBの熱望するものは同じである。オレンジと青の段柄ジャージーの復活だ。
 15人制の初戦は5月8日、関西大学との定期戦。昨年の大学選手権では24-29と負かされた。その再戦が苑田の2度目の「大学デビュー」になる。
(文:鎮 勝也)

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