サンウルブズの9番争いを熱くする矢富勇毅(撮影:松本かおり)
度重なる故障に泣いた31歳が、ついにこの舞台に立った。
3月26日、シンガポール・ナショナルスタジアム。南半球を主体とした国際リーグであるスーパーラグビーの第5節があり、日本から初参戦するサンウルブズのSH矢富勇毅が後半26分からグラウンド入りした。優勝経験もあるブルズを向こうに存在感を示し、クラブの歴史的初勝利にあと一歩と迫った。
京都成章高卒業後に早大入りすると、それまでのCTBからSHへ本格転向した。持ち前のばねを活かし、密集脇で球を持てば再三の突破を披露した。4年間で2度の学生王者に輝き、社会人のヤマハ1年目にあたる2007年、日本代表としてワールドカップに出場した。
しかし、好事魔多し。フランスでのワールドカップでは、9月12日にトゥールーズであったプール2戦目のフィジー代表戦(●31-35)では途中出場ながら故障で退く。そのまま帰国を余儀なくされた。
さらに2011年に右膝、12年に左膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂した。引退も頭によぎった。一方、こちらも京都府出身で同学年のSHである田中史朗は、スーパーラグビーのハイランダーズへ入るなど躍進していた。
辛苦を乗り越えた矢富がサンウルブズと契約したのは、2015年夏ごろだった。練習拠点は都内のため、開幕前から単身赴任。家族をヤマハのホームである静岡へ残している。「久々の独身、と言いますか。自分を見つめ直すいい機会かな、と」。現役生活の集大成を迎える時期を、それほど遠くないと思っているのだろうか。挑戦の背景をこう語ったことがある。
「僕自身、怪我も多い選手ですし、年齢を考えても大きなチャレンジをするかどうかはちゃんと考えなければならないところでした。悩みました。ただ、田中選手など同年代もまだまだ世界で活躍していますし…自分自身もタフになりたかった」
サンウルブズでも、しばし別メニューで調整していた。しかし、「深刻には捉えていない」。3月から本格的に合流し、ブルズ戦の出番を勝ち取った。たった14分間の出場だったが、相手の密集からの球出しを遅らせる防御や試合終了間際のトライなどで光った。
髪は、ずっと短く刈り上げている。一部でついたあだ名は「フリーザ様」だ。後頭部の形がいいからか、漫画『ドラゴンボール』に登場する球体のような頭をした名悪役と重ねられる。矢富自身、普段の物腰こそ柔らかいが、グラウンドに出れば相手守備網を鋭利に裂く。
(文:向 風見也)