選手生活を終えた廣瀬俊朗。東芝で12年間プレーし、日本代表では28キャップを重ね、
エディー・ジョーンズHCのもと2年間ジャパンの主将を務めた(撮影:松本かおり)
日本代表主将として、東芝ブレイブルーパス主将として日本ラグビーを牽引してきた廣瀬俊朗氏(34歳)が今季限りでの引退を表明、3月1日に東芝府中事業所で引退会見が行われた。
会見場にはテレビカメラや記者が多数詰めかけ「去年引退してたら、こんなに(たくさん)来てないですね」と昨今のラグビー人気を実感。引退を決意したのは、昨年のワールドカップ(W杯)終了時だという。
「2012年に日本代表に選出されて、2015年のW杯をターゲットにしてやってきた。帰ってきたら、日本のラグビー(の環境)が変わっていた。僕自身が作りたい状況を作れたので、次に向かいたい」と、W杯で3勝1敗の成績を収めた時点で引退の気持ちが固まっていたと明かした。
「ここまで頑張ってこられたのも家族とファンのおかげ。今日も電車に乗っていたら『頑張ってください』と声をかけられて嬉しかった。そういうちょっとしたことで頑張ろうと思えた」と、まず家族とファンへの感謝の言葉を口にした。
大阪府出身。5歳のとき吹田ラグビースクールで楕円球を手にして30年、豊中十四中、北野高、慶大と進み、東芝では12年間プレー。「(選手として)未練は全くない。大義は果たした」と、完全燃焼しての引退となった。
会見でラグビーの良さを尋ねられると「ラグビーとは僕自身を作ってくれたもの。スポーツはラグビーしか知らないけれど、良さは多様性があること。いろんな選手がいて皆が活躍できるから、いろんな人を認めることにつながる。チームにはトンガ、韓国、オーストラリア、フランス…といろんな国の選手がいて、同じ目標のために戦える。(出来たことを)幸せに思います」と語った。
東芝、日本代表と卓越したリーダーシップを見せた廣瀬氏。気になるのは今後だが、会見の最初に東芝の三浦修部長から「育成方法、進路に関しては慎重に検討したい」とのコメントが読み上げられた。
会見では「今後はまだ決まっていないが、自分にしか出来ないことをしたい。これからの生き方として“海外”もキーワードになってくる。指導者にもビジネスにも興味があります」とさまざまな可能性を示唆したが、囲み取材では「海外に行くのは僕の夢で、まだ現実的ではない。4月からは協会のお手伝いと選手会(の立ち上げ)と、東芝で選手とスタッフのサポートを出来ればいいと思っています」との見通しを示した。
「20年後、30年後は“ラグビー日本代表主将の廣瀬”ではなく、新しい肩書を作りたい」と語った廣瀬氏。
将来的にはラグビー界、スポーツ界にとどまらず、活躍の場を広げていきそうだ。
(文:森本優子)