「ヨドコー」と呼ばれる淀川工科高校は大阪市の東隣、守口市にある。全国大会出場13回。しかし、名門チームも1994年度の第74回大会を最後に21大会花園から遠ざかる。
今、「ヨドコー」の名を全国に知らしめるのは吹奏楽だ。国内トップのクラブには240人近い生徒が集まる。
ラグビー部員は2年生15人、1年生13人の計28人。約4分の1である。
監督は体育教員でもある農端(のばた)幸二。54歳の元FLは赴任7年目を迎えた。
「このチームが強かった、ということを知らない子どもがたくさんいる。なにもしなければ、部がなくなってもおかしくありません」
人数難と戦いながらも、来年1月の新人戦は25人のメンバー表選手枠を埋められる。
「ワールドカップ効果で1年生が4人、この秋に入って来てくれました」
声は弾む。日本代表3勝のおこぼれをもらった。指導は優しい。
「休みたい時には休んだらいい。実際、家庭の事情でバイトをせなあかん子もいます。それでも入ってきてくれる子もいる。そんな子を辞めさせたらあきません」
淀川工科には就職前提の入学者が多い。片親など金銭的に豊かでない生徒もいる。午後4時前から約2時間の練習は背景を理解して行われている。
農端は府立金岡高校から東海大に進んだ。東海大テクニカルディレクターの土井崇司は高校、大学の先輩。2003年W杯の日本代表監督、向井昭吾は大学同期になる。母校の金岡で10年、東住吉総合(旧校名は東住吉工)で15年勤務し、淀川工科に来た。
「全国大会に出せていないけど、ささやかな自慢は15人を切らしていないことです」
合同チームに参加したことはない。スポーツ推薦や奨学金がある私立ではなく、公立高校の監督としては誇れる略歴である。
「私学うんぬんを言っても始まりません。違うもの。でも指をくわえていたくもない」
府下のラグビー経験者は常翔学園、東海大仰星、大阪桐蔭などの私学強豪に集まる。
府立校の全国大会出場は1996年度の第76回大会の島本が最後。20年近く花園の芝生を踏んでいない。
私立優勢の逆境の中、農端は部員獲得のために動く。
「入学してきた1年生は体育の授業などを利用してかたっぱしから声をかけます」
ラグビー経験者の供給元となる中学校を大事にする。毎年8月には2日がかりで招待試合を行う。前任で80年代に淀川工を全国レベルに再浮上させた岡本博雄の名前をとって「博雄カップ」と名付けられた。今年は24チームが参加した。
同僚に頼んでホームページも作ってもらった。校外の人間の認知度を上げるためだ。
強豪校からも学ぶ。全国大会の抽選前日、12月4日には三重・朝明の斎藤久、沖縄・コザの當眞豊、北北海道・遠軽の山内宣明ら3監督と夕食を共にした。
「みなさん公立でめぐまれない環境の中で情熱を傾け、全国大会に出てくる。見習わないといけない部分がたくさんあります」
今夏には遠軽で夏合宿も行った。
冬の花園には部員を連れて行き、補助役員として運営を手伝わせる。
「プレーうんぬんじゃなくて、トップの子らの姿勢を見させます。かばんや靴をそろえるとか、そんなところでいいです」
練習にはレスリングを取り入れる。経験者の同僚に頼んで、柔道場でタックルの仕方を学ぶ。日本代表やヤマハ発動機のトレーニングを参考にしている。
旧校名の淀川工の創立は1937年。現在は機械、電気、メカトロニクス、工学と4系統に分かれている。
ラグビー部創部は1947年。2016年で70週年を迎える。府内では34回の常翔学園を筆頭に全国大会出場数は5番目。府立高校では天王寺の19回に次ぎ2番目だ。主なOBには1995年、第3回W杯の日本代表監督をつとめた小藪修(SH、同志社大→新日鉄釜石、代表キャップ1)や前パナソニック監督の中島則文(FB、日本体育大→三洋電機)がいる。
2年生の新主将はCTB堤力也だ。
「僕はラグビーをやっていたので、強かったことを知っていました。入部した時は、あんまりかなあ、と思っていたけど、レベルは高かったです。先生は基本をしっかり教えてくれます。OBはよく練習に来て下さるけど、ありがたいなあ、と思っています」
この秋の花園予選は第2地区の8強戦でCシードの早稲田摂陵に20-24で敗れた。
堤は新チームの目標を定める。
「ベスト4に入りたいです」
農端も同じだ。
「準決勝に出るためにはシード校を倒さないといけない。それを続けていきたいです」
強豪に勝てば注目を集める。右腕に白1本ラインの赤ジャージーを監督、部員が一体となって復活させたい。
(文:鎮 勝也)
【写真】 スクラム練習をする淀川工科、右は農端幸二監督