最初で最後だ。
ジャパンのCTBクレイグ・ウィングが、やっとワールドカップのピッチに立つ。35歳での初舞台は、日本代表のワールドカップ初出場史上最年長記録。2013年のウエールズ撃破など、『出れば』チームに貢献する男がエディー・ジャパンの集大成を示すアメリカ戦(日本時間:10月12日 午前4時キックオフ)で真価を示す。
今大会の初戦、南アフリカ戦にも先発するはずだった。キックオフの48時間前に発表された先発リストに一度は名を連ねたが、試合前日の練習でふくらはぎを痛めて出場を回避。調整を続けてラストゲーム出場へ漕ぎつけた。
昨年はジャパンでの試合出場なし(トップリーグの出場も4試合のみ)。怪我で実戦のピッチになかなか立てず、プレータイムも短い。普通ならアピール不足でスコッド入りを逃してもおかしくない状況だった。今春から続いた厳しい合宿途中、プライベートな理由でチームを離脱することもあり、その際、旅行中の楽しげな写真をSNSにアップすることも。それを見たチームメートは苦笑いするしかなかった。
しかし、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチの『心身のコンディションさえ整えばワールドクラス』という信頼は揺るがなかった。パシフィック・ネーションズカップ途中からの短い時間で実力を示した。
オーストラリア人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、日本のトップリーグでは『アジア枠』でプレーしている。NTTコムに来日したのが2010年。2012年に神戸製鋼に移籍し、今季で日本での生活も6年目を迎えた。2013年からジャパンに招集されている。
来日前は、オーストラリアでラグビー・リーグ(13人制)のスター、トッププレーヤーとして長く活躍してきた。高校時代までは15人制のラグビー・ユニオンでプレーし、豪州高校代表にも選ばれたことも。卒業時にプロフェッショナルのフットボーラーとして生きていくことを望み、13人制を選んだ。
「当時、ユニオンとリーグのプロフェッショナルの環境を比べればリーグの方が上だった。若いうちから活躍したかった」のがその理由。実際にスターの階段を駆け上がり、自身の判断が正しかったことを証明した。
ジョーンズHCとの付き合いは長い。ラグビー・リーグでキャリアを重ねている途中も、当時同HCが指揮を執っていたスーパーラグビー、ブランビーズへの入団を誘われた。ジョーンズHCはラグビー・ユニオンの豪州高校代表として活躍していた当時のウィングの姿も知っていたからだ。しかし、本人はラグビー・リーグでのプレーを継続することを決めた。そんな経緯も、両者間にある信頼関係の基礎になっている。
ワールドカップと名の付くものは初めてだ。ラグビー・リーグのスター選手だった頃も13人制のワールドカップが開催されたが怪我で出場を逃した。「だから(今大会でのスコッド入りに)興奮しているんだ。これまで縁のなかった世界規模の大会に参加できる。ラッキーな人生だ」と大会前に語った。日本人選手とほとんど変わらぬ体躯ながら倒れぬ走り、ハードタックルを見せられる理由を「僕がラグビー・リーグでやっていたポジション(ハーフバックスやCTB)は、大きなFWにターゲットにされるところだった。だから、彼らを止めるために必死に体を張り、立ち続けた。その経験が自分を強くしたと思う」と話す。
ユニオンとリーグの間にある差も、両者のプレーの肝も分かっている。ワールドカップスコッドに選ばれた直後、こんなことを言った。
「ラグビー・リーグより、サイズに劣る側にチャンスがあると思っています。ミスマッチのような力の差があっても、戦術や工夫でなんとかできるのがラグビー・ユニオン。戦い方を工夫できるのもいい。
ジョージ・スミス(元豪州代表&元サントリー)やフィル・ウォー(元豪州代表)はオーストラリア高校代表時代の仲間だけど、もうみんなインターナショナルレベルからは引退した。まさか、この僕が(同期で)最後までプレーし、ワールドカップに出るなんて…誰も思わなかっただろうね。そして、オーストラリアではトップリーグなど日本のラグビーはほとんど報道されないから、僕が日本でプレーしていたり、ジャパンでワールドカップに出ることを知らない人もたくさんいると思う。テレビで大会を見ていて、『あーっ、ここにいた』とびっくりする人もいると思う」
世界に自身の存在を発信するチャンスは、アメリカ戦の一回きり。指揮官の期待に応え、多くの人を驚かせたい。