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誇り高き南ア代表デヴィリアーズ主将 W杯からの離脱と代表引退を発表

2015.09.28
2015年9月26日のサモア戦がデヴィリアーズにとってスプリングボックスでの最後の試合となった
(Photo: Getty Images)

 傷だらけの英雄が引退を決意した。南アフリカ代表、誇り高きスプリングボックスの第54代目主将、ジャン・デヴィリアーズ(34歳)だ。ラグビーワールドカップ英国大会の最中だが、9月26日のサモア代表戦であごを骨折し、翌日、チーム離脱とともに代表からの引退を発表した。月曜日に母国へ帰り、手術を受ける予定。もう、英国には戻らず、グリーン&ゴールドジャージーを着ることはない。

「昨日の試合で負傷し、フィールドを去ったとき、これが南アフリカ代表でプレーする最後だと思った。2007年のワールドカップでも私はサモア戦で怪我をして離脱し、スプリングボックスは優勝した。同じことがもう一度起こることを願っている。私はいまから、彼らのナンバーワンサポーターです」

 2002年11月のフランス戦で南ア代表デビュー。約13年間でテストマッチ109試合に出場し、キャプテンとして37試合出場は同国代表歴代2番目に多い記録。2015年9月19日、8年ぶり3回目の優勝をめざしたワールドカップの初戦で格下の日本代表にまさかの敗北を喫し、世界中のメディアから酷評された。「もはやスプリングボックスのCTBとしてプレーする力はなく、『ジャン・デヴィリアーズ』という名前だけでフィールドに立っているようなものだ」という厳しい声もあった。

 しかし、彼は逃げなかった。負けたらプールステージ敗退が決定的となるサモア戦にも先発出場し、スプリングボックスに誇りを取り戻すために奮闘。後半32分に一度ベンチへ退いたが、その後、CTBジェシー・クリエルが出血したためフィールドに戻り、勝利の笛をグラウンドのなかで聞くことができた。それが、スプリングボックスとしてのデヴィリアーズの最後だった。

 10代のころからゴールデンボーイと呼ばれた男は、華やかな世界が似合ったが、怪我に苦しんだラグビー人生でもあった。
 南ア代表デビュー戦、最初に受けたタックルでひざを負傷し、試合開始5分でフィールドを去った。
 2003年ワールドカップのスコッドに選ばれたものの、開幕1週間前のウォームアップゲームで肩を壊し、大会不参加となる。
 2007年大会、南アは世界一に輝くが、デヴィリアーズは最初の試合だったサモア戦で左の上腕二頭筋を断裂し、帰国。優勝にほとんど貢献できぬまま、のちに金メダルを受け取った。
 そして、昨年11月のウェールズ戦では左ひざを壊し、悲鳴をあげた。全治8か月と診断され、今年のラグビーワールドカップ出場はおろか、選手として再起不能ではないかとさえいわれた。しかし、手術と懸命のリハビリを経て、復活。ひざ、肩、腕、手首、太もも裏……、体中にいくつもの傷を負いながら何度も克服してきたデヴィリアーズは、今年8月のアルゼンチン戦ではあごを骨折していて、もしかしたら完治せぬまま、今回のワールドカップに参加していたのかもしれない。

 スプリングボックスのCTBとして94試合出場は最多。2008年と2013年に南アの年間最優秀選手賞に輝いたジャン・デヴィリアーズは、間違いなく、世界のラグビー史に残る名選手のひとりである。

 デヴィリアーズの代わりに、副将のヴィクター・マットフィールドがキャプテンを務めることになる。プレーヤーとしての代役には、怪我の回復が遅れて当初のワールドカップスコッドには選ばれていなかったCTBヤン・サーフォンテインが追加招集される。
 南アは、2012年のIRB(現ワールドラグビー)年間最優秀ジュニア選手であるサーフォンテインだけでなく、ダミアン・デアリエンディやジェシー・クリエルなど20代前半のCTBが力をつけており、大会前、デヴィリアーズはハイネケ・メイヤー ヘッドコーチに「自分がもはやそのポジションにふさわしくないと思ったら、遠慮なく外してください」と伝えていた。

 デヴィリアーズ主将が抜けた穴は大きい。しかし、彼の勇気ある決断がスプリングボックスを奮い立たせることは間違いない。

「今週末には大きなゲームを控えている。私のことは気の毒に思ってもらいたくない。それより、目の前のスコットランド戦に集中してほしい」と彼は語った。

 現在、1勝1敗の南ア代表は、もしスコットランドに敗れると、ワールドカップで初のプールステージ敗退の可能性が高まる。これを乗り切れば、1位通過で準々決勝進出が濃厚だ。

(文:竹中 清)