全国大会13回出場の兵庫県立兵庫高校ラグビー部には、『武陽ラガークラブ』というOB会がある。名前の『武陽』は、学校南側を流れる湊川の河原から取られた。
今年6月、OB会トップの会長に吉岡浩二がついた。税理士事務所に籍を置く54歳。約600人の会員を取りまとめる新しい舵取り役のスタンスは明快だ。
「ラグビー部がなくなりゃあ、OB会もなくなってしまいますから」
視線を向けるのはOBではなく、現役部員である。長く活動を続けるOB会にありがちな独りよがりや方向性のずれはない。
今年4月、兵庫工から転任し、初のOB教員監督となった百瀬達雄には感謝がある。
「吉岡さんとOB会はありがたいです」
京都教育大出身の百瀬は41歳。監督就任前から1人のOBとして、実務に責任を持つ運営委員長だった吉岡と、母校復活の意見交換をしていた。その中で疑問を投げかける。
「県を牛耳(ぎゅうじ)っている立派なOBがたくさんいる学校なのに、マイナースポーツのラグビーひとつ全国大会に出せないって、どうなんでしょうかねえ」
神戸市の西寄り、長田区に学校がある兵庫は、神戸とともに県を代表する名門公立校だ。中学時代の成績は5段階最上の5がほとんどを占めなければ入学できない。前身となる旧制神戸二中の創立は1908年(明治41)。1948年(昭和23)の学制改革で兵庫の名になった。今年、学校ができて108年目。地元財界や政界への人材輩出は数え切れない。
ラグビー部は1929年(昭和4)に創部。化学教員で初代部長になるOB小川重吉の尽力があった。県下での創部は神戸一中の流れをくむ神戸に4年遅れるが2番目に古い。13の全国大会出場回数は報徳学園の41に次ぐ2位。ただし、最後に花園の土を踏んだのは1963年(昭和38)の第42回大会だ。昨年まで51年間、復活を成し得てない。
その事実を踏まえ吉岡は返す。
「ほなどうすればいいんや?」
「お金がすべてではないけど大切ですよね。あればウエイトトレーナーや外国人のコーチなんかも雇えます。強くはなりますよね」
しばらく考えて吉岡は言った。
「よっしや。ほなオレはお金を集めるわ」
税務全般の仕事をしているため、金銭の強さや大切さは身に染みている。
OB年会費は大学生が2000円、30歳までは5000円、それ以上は8000円。70歳を超えると任意になる。一口5000円の寄付を随時受け付けている。
年間予算は130万円ほど。この内の半分程度が、百瀬が赴任後要望したウエイトトレーナー・野沢正臣のコーチング対価として使われている。もちろんこれだけでは足りない。
「これまでOB会活動に消極的だったOBを掘り起こそうとやっています」
吉岡は資産家OBへの資金協力も呼びかけている。さらに、初代部長の小川の遺徳をしのび、寄付で作られた『小川基金』400万円の取り崩しも視野に入れる。
元々、兵庫には熱心なOBが多かった。現役時代、PRだった吉岡は振り返る。
「ぼくらの頃の夏合宿は部員の3倍くらいのOBが集まりました。『なんぼスクラムの台があんねん』っていう感じでした」
母校や後輩に対する愛情はしごきとも取れるきつい練習に形を変える。一流大学進学を目指す部員の多くは退部した。結果、全国舞台は遠のく。最後の花園は吉岡が2歳、百瀬が生まれる11年前である。
苦い経験から吉岡は、29人の部員の指導は、兵庫工を報徳、関西学院に次ぐ二番手グループに押し上げた百瀬に任せる。「金は出すけど、口は出さない」を地で行く心づもりだ。
吉岡と百瀬の胸には新たな試みがある。
OBが県内のラグビースクールを回り勧誘する。入学希望者にはOBが経営する塾を紹介。そこで勉強の手助けをする。月謝はOB会ができるだけ負担。同時にその塾で現役の受験勉強も手伝う。入口と出口でOB会が面倒を見る画期的プランだ。費用面などの問題は残るが、実現すれば部員確保が慢性的な悩みのクラブにとって追い風になる。
百瀬は一人の老OBを忘れない。
試合の後、静かに寄って来た。
「監督、タックルはもう一歩踏み込んだほうがええな」
一言残すと去った。同感だった。
「すごいなあ、と思いました。二中のOBの方です。申し訳なさそうにされてました」
指導者ではない自分が口を差しはさむことに気がとがめたのだろう。しかし、年長者として言葉をかけずにはいられなかった。
百瀬の印象に残る奥ゆかしい大先輩のためにも、『兵庫』の名前をもう一度、全国に知らしめたい。
【写真】兵庫高校ラグビー部監督の百瀬達雄(左)とOB会長の吉岡浩二