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噂されていたエディー・ジョーンズ現日本代表ヘッドコーチ(55歳)のストーマーズ指揮官就任が正式に発表された。ラグビーワールドカップで24年間未勝利だった日本代表をこの4年間で徹底的に鍛え上げ、2015年大会の初戦で優勝候補の南アフリカ代表を破るという快挙を成し遂げたジョーンズ氏だが、今秋のワールドカップ後に現職を退任することを大会前の8月25日に明らかにしていた。
ストーマーズは南アフリカのチームで、国内でも屈指のラグビーマッド地帯として知られるケープタウンを本拠地とする。今年のスーパーラグビーでは南ア・カンファレンスを制したが、優勝したことは一度もない。6年間指揮を執ったアリスター・クッツェー氏が神戸製鋼コベルコスティーラーズへ去ったため、優勝を狙える世界的指導者をリストアップし、新しいチャレンジを考えていたジョーンズ氏にアプローチしていた。
日本代表ヘッドコーチ退任が公になった日、ジョーンズ氏は日本ラグビー協会を通じ、「日本代表は、より優れている指導者を得て、2019年のラグビーワールドカップへ向けてもっと進化を続けると思います。私は新しいチャレンジをすることになりますが、日本代表は常に私の心の中にあります。今年のラグビーワールドカップを日本代表ヘッドコーチとしての集大成にしたいと思います」とコメントしていたが、世界のラグビーの歴史を変える大偉業を遂げた名将を支持する日本のファンは多く、「戻ってきてほしい」という声が上がっている。
8月にジョーンズ氏のストーマーズ入りが報じられたとき、南アメディアは「年俸500万ランド(約4500万円)の2年契約にサインした」と伝えたが、ストーマーズの9月21日付のリリースでは契約年数は明らかになっていない。
エディー・ジョーンズ氏はオーストラリア出身。母親は広島出身の日系アメリカ人で、彼も日本人の血を引く。妻は日本人。
プレーヤー時代はフッカー。選手引退後は高校の教師、校長を務め、1996年にプロラグビーコーチへの転身を決意する。キャリアのスタートは日本で、初めて指導したのは東海大学だった。
帰国してからは、ブランビーズで世界最高峰のアタッキングラグビーを確立し、2001年にスーパーラグビー初優勝。2003年の自国開催ワールドカップではオーストラリア代表の指揮官を務め、準優勝に導いた。レッズでの指導をはさみ、2007年ワールドカップでは南アフリカ代表のテクニカルアドバイザーとして優勝に貢献。
その後、サラセンズ(イングランド)で指揮を執ったあと、2009年からサントリーサンゴリアスで手腕を発揮し、GM兼監督だった2010年度に日本選手権優勝、翌年度はトップリーグとの2冠を達成した。
そして、2012年4月より日本代表のヘッドコーチとなる。
2013年6月に東京で、ラグビー伝統国のウェールズ代表から歴史的初勝利をあげ、翌年には同じく欧州強豪のイタリア代表からも金星を奪った。2013年11月のロシア戦からテストマッチ11連勝という好成績を収め、IRB(現ワールドラグビー)の世界ランキングは日本代表史上最高の9位に。
国内外を精力的に動いてきたジョーンズ氏は、2013年10月に脳梗塞と診断され、入院したこともあった。同年のオールブラックス戦や欧州遠征で指揮を執ることはできなかったが、病室でも日本代表のチェックを怠らず、翌春から再び元気な姿でジャパンを強化してきた。
また、日本におけるラグビー技術の向上に尽力したことが評価され、2014年度には外務大臣表彰を受賞している。
そして、ワールドカップ2015の第1戦で優勝2回の戦績を誇る南アフリカ代表から歴史的勝利。いまはジャパンのヘッドコーチとして、初の準々決勝進出へ向けて集中している。