中島茂は関西の大学ラグビー界でもっとも長い指導歴を持つ。近畿大監督就任は1971年。2015年で45年目を迎える。現在の肩書は総監督である。
京都産業大の大西健は1973年、大阪体育大の坂田好弘は1977年に監督就任した(坂田は定年退官し、現在は関西協会会長)。大西に2年、坂田に6年と関西を代表する大学指導者に先立つが、中島には謙そんがある。
「いや、監督をやっているのが長い、というだけ。そんなの自慢になりませんよ」
近大は1949年創部。中島が指揮を執った44シーズンで関西Aリーグ優勝はない。2位が3回。下部のBリーグが6年あった。
大学選手権初出場は1997年度の第34回大会。これまで9回の出場実績がある。最高位は39回大会(2002年度)の8強入り。法政大に31-56で敗れた。
リーグ戦での頂点こそないが、チームはこれまで新聞沙汰になるような死亡事故や犯罪事件などを起こしてはいない。在学中に成人を迎えるとはいえ、未熟な大学生の人生に、中島はゆがみを作らせない。
その指導は硬軟が混ざる。髪の形や色は自由。過去には長髪や茶髪などもいた。ただし、あいさつや授業への出席、集合時間などは厳しい。グラウンドに人が来れば部員は必ず「こんにちは」と声をかける。個人的な嗜好をある程度認めながらも、守らなければならないルールは教え込む。
「学生の個性はできるだけ認めてあげたい。でもマナーや倫理観、自主性などもクラブ員として守っていかなければなりません」
中島は1947年生まれの68歳。大阪・上宮高でラグビーを始め、近大卒業後に職員となる。2013年には学園トップの理事長を補佐する理事(総数9)に昇進する。13ある学部を束ねる教学本部長に就いた。近大は現在、大学院から幼稚園まで学生、生徒、園児数53,000人、教職員10,000人を擁する巨大教育機関に成長。今年の大学の志願者総数155,578は明治大を抜き2年連続で全国1位である。
中島は理事就任と同時に、現場を教え子であるディレクターの神本健司、ヘッドコーチの松井祥寛(ともに神戸製鋼出身)に任せ、部長と監督の兼務から総監督に動いた。
理事は多忙である。この4月、運動系の47団体(クラブ)を束ねるスポーツ振興センター長を兼ねた。
近大は看板クラブの水上競技(水泳)、洋弓(アーチェリー)などを中心に、これまでオリンピック(五輪)には47選手を輩出、メダル14個を獲得している。直近では2012年のロンドン五輪で男子200メートル背泳ぎなど銀メダル2を獲った入江陵介が光る。
「主に2020年の東京五輪に向け、メダル獲得を目指しての強化と関西のカッレジスポーツを盛り上げるのが一つの目標です」
それでも中島はパワーに物を言わせない。現在使用している人工芝グラウンドは、サッカー、アメリカンフットボールとの共有だ。1日を3クラブで分けるが、ラグビー部の時間帯は授業とクラブの両立がやりにくい、お昼だ。時期的に熱中症なども増える。
「やろうと思えば、何でもできます。でもそれをしたらアカンでしょう。ウチが一番使いにくい部分を取らんと」
他者への思い遣りは楕円球から学んだ。
中島はまた全世界に約200支部ある校友会の副会長もつとめる。多い時には月3回の週末を各地の校友会会合に出席して過ごし、大学の現状を話す。
人との交わりを苦にしない。そして上下問わず仲間を大切にする。守る。
前硬式野球部監督の榎本保は中島を恩人ととらえる。オリックス外野手の糸井嘉男、ソフトバンク投手の大隣憲司らを育て、大学日本代表監督も経験した元部下は話す。
「大昔、酒に酔って折り合いの悪かった上司に殴りかかろうとしました。その時、中島さんは後ろから私の肩甲骨をチョンと押した。それでパンチの方向が変わり、壁に行った。近大は上司への暴力は学内秩序の上から厳しい処分が下る。私がクビにならず、監督になれたのは中島さんのお蔭ですよ」
中島にはラグビー精神があふれている。
今年は学校創立90年にあたる。
「ラグビーに限らず、すべてのスポーツで頂点を目指したいですね」
今春、ラグビー部の関西Aリーグ所属チームとの対戦成績は1勝3敗1分。ただし、敗戦はすべて僅差だ。14-26の天理大との12点差が最高。今年は全国高校3冠を達成した東福岡から高校日本代表のWTB岩佐賢人ら3人が入部した。見通しは明るい。
例年通り8月7日から16日までは長野・藪原で走り込み、18日から23日は菅平に場所を移し、中央大、専修大などと試合する。
中島には哲学がある。
「一流チームになるには、計画性があるのかどうか。そして選手のやる気をどう育てたか、だと思います」
神本、松井は38歳。自分にとっては息子世代に日々の練習を任せながらも、方向性は指し示す。近大スタイルで狙うのは、もちろん初の関西制覇である。