東京・上井草、早稲田大ラグビーグラウンド。
ここで楕円を追いかける韓国人女子留学生がいる。
金銀辰さん(キム・ウンジン)。早大スポーツ科学部3年生、21歳。国内のトップクラブ「神奈川タマリバクラブ」のトレーナー、そして「ワセダクラブレディース」に所属し選手として楕円と格闘する日々を送っている。平日は朝から大学の授業が夕方まで、終わるとジムでウェート練習。土曜日、昼間はタマリバの練習にトレーナーとして参加。夕方、ワセダクラブの練習、ポジションはHO。そして翌、日曜日はタマリバの試合に同行する。
金さんは韓国釜山市の出身、地元の南山(ナムサン)高校を2013年3月に卒業後、4月に来日して早大へ入学した。
高校時代は受験勉強と日本語の勉強に明け暮れていた。高校1年ですでに日本語能力試験1級に合格。地元で教員をしている父・和仙(ファソン)さん、母・千銀慶(チョン・ウンギョン)さんの勧めで大学は日本留学を選んだ。
「韓国は中学から勉強するかスポーツをするかで分かれてしまいます。私は勉強を選んだ。家族や親戚がスポーツに偏見を持っていた」
偏見の理由はこうだ。父のいとこが有名なハンドボールの韓国男子代表選手だったが、引退後、道をあやまり反社会的勢力に。いとこは昨年、50代で死去した。
「大学ではスポーツトレーナーの勉強をしたいと思っていました。早稲田は韓国でも有名で両親も喜んでくれました」と言う。
トレーナーに興味を持ったのは中学時代。心の悩みを持っていた時にあるプロ野球選手に出会った。ロッテジャイアンツ中堅手の李承和(イ・スンファ)選手。李選手は釜山商高を卒業後、2001年にロッテ入りしたが活躍できず悩んでいた。治療の関係で知り合う。「李さんから君なら頑張れる」と励まされ悩みを克服した。
「将来、スポーツ関係の選手をサポートする仕事をしたいと思った」
李選手は今年、名前を禹?(ウミン)に変えロッテで15年目のシーズンを迎えている。
ラグビーを初めて見たのは、大学1年の10月。知人にトップリーグ「東芝対パナソニック」の試合に誘われた。
「釜山はアメリカンフットボールが韓国でも盛んな地域で最初はアメフトだと思っていました。スクラムを見て驚きました。『交通事故』じゃないかと」
翌年5月、高麗大ラグビー部が早大との定期交流戦で来日。早大ラグビー部に頼まれて高麗の通訳などを務めた。
「高麗の選手たちとたくさん話をしました。目の前の優勝を目標としながらも本気でラグビーを楽しみ、未来を考えている」
前後してゼミの中村千秋准教授の推薦もあり、タマリバへトレーナーの勉強で参加することになった。そして、そこで多くの刺激を受ける。
「日本語の専門用語が分からず怒られることもありますが、社会人、学生といろんな方と交流を持つことができています。最初は年下の選手が年上にプレーの問題を指摘し要求することに驚きましたが、話し合える良い環境と分かった」
今年2月にワセダクラブに入り、自身でプレーも始めた。昨年6月に高麗大から数名が早大へ練習に参加するため滞在した。その時、レディースの存在を知った。高麗大の選手から「女子はラグビーをしない方がいい」と言われたが、気持ちを変えたのはタマリバにトレーナーとレフリーを兼ねる先輩の存在だった。
「ラグビー経験者でラグビーを理解していて選手とコミュニケ―ションもすごく上手。私もラグビーをすれば選手と分かり合えることが増えてトレーナーの仕事に役立つ」
レディースの中では初心者、まだまだレベルは先輩に追いつかない。部員が10数名でふだんはセブンズの練習をしている。タックルが楽しい。
「痛いと思っていたけど全然痛くないし、もっとぶつかりたい。今はHOですが15人制のラグビーにも関心があります。LOやNO8を経験したい」
大学生、トレーナー、ラグビー選手と忙しい毎日を送っている。夢は大きい。大学卒業後は早大大学院へ進み、研鑽を積もうとしている。ラグビーもセブンズ、15人制と一層、打ち込みたい。
「高麗大の金世ファン選手(NO8、現4年生)と夢を話しました。私はトップリーグのトレーナー。ヨファン選手はトップリーグに入る。最初は冗談で話していたけど韓国代表になって東京五輪に出場できれば」
日本で初めて楕円に触れ、魅力に取りつかれた韓国人女性が母国の代表ジャージーを身に着け、グラウンドを駆ける。そんな日が訪れてほしい。