それぞれの人がそれぞれの立場で、それぞれの仕事を全うしている。もっとも、それぞれの仕事の「常識」は、それ以外の人にとって「常識」ではないことが多い。
街の美容室にふらりと入って、別のサロンの評判を聞いても奥歯にものが挟まった答えしか返ってこないとしたら、それはそのスタイリストが業界の「常識」を遵守しているだけである。
「合う、合わないは相性次第。だからこそ、他人に他所の店をいいとか、悪いとかいう話をしない」
スポーツライティング、いや、報道従事者の「常識」に、「取材対象者を全面肯定してはならない」というものがある。「まずは相手を認める」が大前提だが、例えば「相手が嘘をついている可能性」に目をつぶってその話の内容を伝えたら、読者に嘘を教えかねない。たとえ私生活をどれだけ乱していても、真実を探求して伝えるという「常識」だけはストイックに守らねばならない。
職歴8年目の筆者はしばしこいつを逸脱しがちなようで、同業者との雑談で特定の選手の談話に基づいた見解を示したら、ある先達に「惚れ込んだら周りが見えなくなるよ」とたしなめられたことがある。一応、「常識」を遵守しているつもりだが、この調子である。そんなことがある度に、自戒を込めて「全面肯定、厳禁」を誓う。
スポーツの現場で記者が「常識」を絶対に守るべき場所は、何よりも「ナショナルチームの指導者の取材およびその報道をする場合」だろう。例えば、ラグビーのグラウンドレベルの関係者を政治家に置き変えたら、日本代表の指揮官は内閣総理大臣にあたる。報道が総理大臣を全面肯定していたら、もうそれは報道ではない。広報だ。広報には広報の役割はあるけれど、報道とは似て非なるものだ。
僭越(せんえつ)ながら、いまのエディー・ジョーンズ ヘッドコーチは、筆者がいままで会ってきたラグビーのコーチのなかでも指折りの名手だ。ワールドカップの2003年大会でオーストラリア代表ヘッドコーチとして準優勝、同2007年大会では南アフリカ代表のチームアドバイザーとして優勝。国際舞台での実績は文句なしで、何より、強烈な勝利への意志と、それを実現する知識の引き出しを豊富に持っているだろう。少なくとも、そういう力のある人だと周りに思わせるだけの情報発信力に長けている。
「忍者の身体と侍の目を活かした日本独自のラグビー」として「JAPAN WAY」を唱え、13年初夏には、満員の東京・秩父宮ラグビー場で当時欧州王者だったウェールズ代表をやっつけている。
そんな背景も手伝ってか、多分、「エディーさん」は、この国の大半のラグビーファンに支持されているだろう。
いつだったか、このボスを客観視したうえで「負けず嫌いの職業監督」と表現したことがあった。「日本のために命をかけるエディーさんが、まるで金のためにやっているみたいな書き方をするな!」と、それこそこちらの「常識」の埒外からクレームが出たらしい(と、誰かから聞いた)。アイドル女優のスキャンダルに男子高校生が目を背ける心理に似ているな、と思った。人はいつだって、自分が好きな物事が別角度から検証されることを求めていない。
もっとも、こちらが「エディーさん、エディーさん」とべたついた態度を示したら、それはもう「非常識」である。本人に煙たがられても、嫌われても(これは少し困るか…)、こちらはこちらの「常識」に基づいて日本のラグビーを伝えるほかない。
今秋、ワールドカップがある。ジャパンのジョーンズHCは、8強入りを目指すと公言している。
「クレイジーという人もいる。現状では確かにクレイジー。ただ、この先の鍛錬でかなりチームは向上する」
多分、この先、ある人は「実現、間違いなし」と言い、またある人は「絶対、無理」と断じるだろう。どの意見を信じるかは、無責任な言い方をすればその人の勝手である。ただ、ひとつ言えるのは、「全面肯定」を前提とした論説は疑ってかかったほうがいい。
以下、余談。若年層の育成について「それは私の仕事ではない」と言う「エディーさん」が「職業監督」だとしても、それは悪いことではなかろう。現場の大半の人たちにとって、ラグビーは「仕事」なのである。
リーチ マイケル。日本代表主将で、「ミーティングの席は最前列」が定番の謙虚な騎士である。今季から南半球最高峰であるスーパーラグビーのチーフスでプレーするが、「こっちの日本との違いは、全員がプロだということ」と話し、こう続けた。
「俺は、ラグビーを仕事だと思ってやっています。だから早くグラウンドに行って、準備をする。中途半端なことはしたくない」
かつてサントリーを率いていたジョーンズHCと職場が一緒だったNTTコムの大久保直弥FWコーチも、日本人の特徴を「仕事に対する責任感が強いこと」と語っている。
【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)。