4月26日は、関西ラグビー界の結束が次第に強まっていることを実感する一日になった。「近鉄花園ラグビー場」から「東大阪市花園ラグビー場」に名称変更され、初のイベントとなった「第9回関西ラグビーまつり」は、約6,000人の観衆、関係者を集め、朝から晩まで汗と笑顔がはじけた。
朝9時から東大阪多目的グラウンドでは、普及の部としてミニラグビーを実施。大阪、京都、兵庫、和歌山などからラグビースクールが参加して熱戦を展開。花園第2グラウンドでは、大阪のラグビー名門高校の「なつかしの高校OB交流戦」が次々に行われた。この交流戦は浪商ラグビー部OB会の最高顧問・金本文男さんがまとめ役となって11回目を迎える。出場したのは、枚方西、茨田、淀川工業、島本、興国、枚方、大阪工大高、花園、同志社香里、布施工業、浪商、守口、阪南、啓光、近大附のOBたち。大阪工大高の元日本代表WTB東田哲也さんら往年の名選手が、細くなった足を懸命に動かし、やや太くなった胴回りを揺らしながら、気持ち良さげに芝生の上を駆け回っていた。
第1グラウンドでは、昭和天皇崩御で中止になった第9回関西中学生大会決勝「天理中学校OB VS 愛光中学校OB」、第68回全国高校大会決勝「大阪工大高OB VS 茗溪学園高OB」の試合が行われた。両試合ともスタンドに詰めかけたOBや関係者が選手のプレーに一喜一憂する温かい雰囲気に包まれたが、中学のほうは、天理が48-5で勝利。そして、幻の高校決勝戦は、64-19で大阪工大高が勝った。
大阪工大高では、キャプテンを務めた伊藤紀晶、日本代表79キャップの元木由記雄、元日本代表SH大原勝治らが顔を揃え、茗溪学園も徳増浩司監督(当時)、キャプテンのNO8大友孝芳、SH深津明生、SO赤羽俊孝と懐かしい名前が並んだ。観客席を沸かせたのは、現在、京都産業大学ヘッドコーチの元木由記雄のパワフルな突進だが、茗溪学園のOBも華麗なパスワークでトライを返すなど、両校の応援団も大いに盛り上がった。「26年ぶりに集まれてよかった」と、両キャプテンは、チームメイト、ライバルとの再会を喜んでいた。
和歌山県の黒潮・躍虎太鼓の勇壮な演舞のあとは、メインゲームのNZU来日記念「ニュージーランド学生代表 対 関西学生代表」。試合内容は、前日の当サイト記事に詳しいが、スーパーラグビー予備軍もいるNZUに対して関西学生代表が激しいタックルを次々に浴びせた。田淵慎理キャプテン(同大→近鉄ライナーズ)は、「グラウンドを縦に三分割してディフェンスの約束事を決めたのですが、それが上手くはまりました」と、前半の健闘を説明したが、後半は、突破力ある選手を投入してきたNZUに防御網を破られた。「NZUのブレイクダウン(ボール争奪戦)での圧力が強くて、ダブルタックルができなくなったところはありましたね」。
試合後、チームを束ねた大西健監督は、報道陣に次のように語った。「きょうは関西Aリーグの各チームが全員で見に来てくれました。強制ではなく自主的なものです。自分たちの代表が戦っているのを応援できたのは勝ち負けを越えて良かったと思います。選手にとってきょうの試合は一人一人の財産、そしてプライドにもなったでしょう。『関西復権』を合言葉にチームを作ってきたので、改めて関東勢に対抗しようという気持ちが芽生えたと思います」。
アフターマッチファンクションでは、NZUと関西学生代表のテーブルが別だったのだが、両キャプテンのスピーチが終わると、関西学生代表の選手たちが率先してNZU側に歩み寄り、ほとんどの選手がNZUのテーブルを囲んでの交流が始まった。このあたりにも、NZUの巨漢選手たちにひるまずタックルを浴びせ続けた自信が現れていたのかもしれない。
関西協会の坂田好弘会長は「関西の学生代表でNZUのような伝統あるチームと戦える。それが作れたのが大きい。大学のチームがみんなで来てくれたのは良かったのですが、本来は高校生にも来てほしかった。この試合を見れば、関西の大学でラグビーをしようと思ってくれたでしょう。すべての日程調整は難しいのですが、これは協会の問題ですので、そうした調整もしていかないといけないですね」と課題も口にした。
しかし、今回の試みが関西学生代表の価値を高めたのは確か。昨秋の関西大学Aリーグから、この試合を目標に選手選考を重ね、セレクションマッチを経てチームを編成し、試合前には、坂田会長、東大阪市の野田市長、ニュージーランドのピーター・ケル公使が選手たちと握手するセレモニーもあった。一つ一つの試合を大切に運営すること。それが選手たちのモチベーションを高め、ラグビー普及にもつながることを再確認できた、第9回の関西ラグビーまつりだった。
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年 4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーラン スの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日「ラグビーウィークリー」にもコ メンテーターとして出演中。