2月3日の朝。東京都日野市は帝京大の百草園グラウンドである。大学選手権6連覇中であるラグビー部のスタッフが、人工芝の端っこのベンチにクッションを敷いていた。ぶ厚いコートを着た取材記者数名がそこへ座り、これまたスタッフに渡された温かいお茶のペットボトルに口をつける。
ベンチの目の前とは反対側の22メートルエリアでは、直近の試合に向けた定位置争いには関与しない、いわゆる控え組が練習をしていた。近寄ってみる。攻撃陣形を作ってのパス交換、地面にあるボールの上で押し合いへし合い、ビールサーバーの樽のスペアくらいの大きさのダミーへのタックル…。意図の感じさせるメニューを学生コーチがリズム良く進行するさまを観て、ある言葉を思い出す。
「皆、帝京を認めるところから始めないと」
発したのは布巻峻介。大学王者になった回数は歴代最多も今季は4強入りも逃した早大で、副将として孤軍奮闘にやや近い状況であがいていたものだ。
<とにかく、規律、テンポ、強度がいい>
トレーニングの印象を「芸術的」と評判の文字で「無印良品」のノートに記していると、グラウンドの入り口付近に白髪交じりの血色のいい男性が現れた。岩出雅之監督である。待ち構えた記者らと、談笑を交えた対話が始まる。こちらも鍛錬する学生たちから軽く一礼して離れ、挨拶に出向く。「Cチームの練習、いい雰囲気でした」とは、言わなかった。ゴマをすっているみたいで気持ちが悪いからだ。
ベンチのクッションが敷かれていない場所に、指揮官、どっかと腰を下ろす。NECとの日本選手権1回戦は5日後に迫っていた。主要メンバーのセッションは、2季前からの具体的目標である「打倒トップリーグ(日本最高峰リーグ)勢」の総仕上げである。ベンチと反対側のタッチライン際では、来季主将の坂手淳史らがラインアウトとモールの動きをチェックしていた。
「このパスがどうとか、シェイプがどうとかよりも、背景を見んと。明治時代からスタートやな」
気遣いからか。周りを囲む記者で唯一、所属先を持たない筆者に、岩出監督はこう話しかける。「執念が生んだトライ、なんて書くのはどうも恥ずかしくて」と返そうと思ったが、その場の雰囲気を鑑みて止めておいた。
<空気を読まないのはありだが、読めないのはだめ>
後に南半球最高峰スーパーラグビーのフォースへ入団する29歳、山田章仁がかつて言外ににおわせた思考回路である。
話題は週末のゲームの展望から、そのまま自らの指導論に転ずる。
「まだまだ進化させています。どういうことを仕掛けてゆくと、学生が自主的になるか。1年、1年の違いはあんまりない。ただ、5年、6年経つと…。根気、要りますよ」
「(問題の)直後に何かを言った方がわかりやすい時と、直後に言ってしまうと伝わりづらいケースがある。その辺(を見極める判断が)我慢強く、シャープになってるかな、僕も」
――自分の進化を止めない。なぜでしょうか。
「単純に教員として仕事を全うしたいというのが原点です。教員を目指した最初の動機は何であれ、せっかくそれを選んだのなら、全うする。それが自分の人生を否定しないことにつながるから」
コーチの教育論は、えてして勝負から逃げる際の言い訳に用いられがちだ。大学教授でもある岩出監督は、しかし、その隊列には並ばない。向上心の源に職業倫理と、何より負けじ魂を据える。
「…」
取材対応のかたわら、胸元の小型マイクで何やら指示を飛ばす。様子を見つつ、さらに話を続ける。また改めて、インカムを通して指示。その繰り返し。練習を進めるコーチに、選手へ指示する内容を伝えているようだ。
そう。耳と口で近くの人と話していても、目と鼻は学生の働きざまにしかと向けているのである。それはこの日に限ったことではない。「不思議ですよね。さっきまで人と話していたのに、ということが結構ありました」とは、トップリーガーとなった帝京大OBだ。ちなみに岩出監督は、人の仕事もよく観ている。観ようとする。某クラブの採用担当者が、いつも視察に来る曜日に来ない週があった。練習試合に訪れたチームの控え部員が、各所に散って試合を分析していた。最近、××記者の記事に「味」が出てきた…。自明こそしないが、だいたい、この手の現象は観察眼の範疇にあるようだ。
「よく、お話していただきながらグラウンドでの変化に気づきますね」との問いに、指揮官自身は「そりゃ、わかりますよ」と答えるのみだ。3連覇の折の主将、いまは東芝で同じ役割を担う森田佳寿の解説が必要だろう。
「その練習のフォーカスポイントやプレーの基準などが、あらかじめ皆で共有できているからだと思います。もちろん、岩出監督にしかない観方や感性もおありだと思うのですが」
ラインアウトとモールの練習が佳境に入る。「そんじゃ、俺、行くわ」。マイクの向こう側にそう伝えると、岩出監督はベンチを離れる。向こう側へ歩く。
8日、秩父宮ラグビー場。31-25で勝った。日本選手権で学生がトップリーグ勢を破ったのは、実に9季ぶりのことだった。
勝因は何ですか。翌日の新聞の運動欄で多くのスペースを割く80分の直後だ。周りからはどうしたって聞かれる。そういう内容の原稿依頼も受けた。
ニリ・ラトゥら相手のキーマンが不発に終わった。流大主将らがそれを誘発しうるエリア獲得重視の試合運びを成功させた。セットプレーで互角だった。1対1や肉弾戦で優勢に近かった…。現象面に基づく考察はたやすかろう。それを証明する談話さえ聞ければ、記事は成立させられる。
カテゴリーを問わず学生が誠実。有力な選手が相次ぎ入部してくる。充実した栄養管理ノウハウとトレーニング施設が大きな身体を作る…。帝京大の強さの根っこについても、多彩な分析結果がメディアなどで伝えられている。
ただ、それらは結局のところ、「小手先の分析」の領域を出まい。ラグビーとは、「フィジカルコンテスト」とか「セットプレー」、ましてや「パス」とか「シェイプ」とかと同時に、人間の胆力や知性といった「背景」がぶつかり合う競技なのだ。
帝京大のNEC戦の本質的な勝因は、きっと、岩出雅之という監督が存在していたことである。
成長したいとの意欲で、負けたくないとの執念で、じわじわといまにいたる環境、状況、自信、要は帝京大の強さの要因とされるものを作り上げた。その延長線上で流がゲームを動かし、坂手がラトゥを跳ね飛ばし、司令塔の松田力也がトライを奪ったのである。
大学選手権6連覇達成までの白星、その先の白星、もしかしたら訪れる黒星の理由も、すべてそれで説明がつくかもしれない(もっとも、それではいつどんな試合を報じても紋切り型になってしまうのだが)。帝京大は15日、秩父宮で東芝との2回戦に挑む。
【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)。