まさしく「15人ラグビー」である。
ただし、FW、BKが一体となった華麗なアタックではない。
尼崎市立尼崎高校、通称「イチアマ=市尼」はリザーブなしで2月8日、第66回近畿大会兵庫県予選兼新人戦準決勝に臨んだ。
負傷退場で14人になっても戦い続けた。棄権はしなかった。
敗北は必至である。
報徳学園とともにビッグ2を形成する関西学院高等部に0-77(前半0-28)の大差をつけられ、県3位でフィニッシュした。
前半21分にFB高田瑠輝が右鎖骨骨折でピッチを去る。以後、市尼の最後尾に人はいなくなった。約40分間、14対15の不利を強いられる。
それでも前半30分には見せ場を作った。
PKからタッチラインアウトを選択。10人モールで関学ゴール前まで迫る。マイボールスクラムから再びモールを作るが、崩れてパイルアップ。その後、前半終了のホイッスルが響いた。
試合後、関学監督・安藤昌宏は言った。
「一生懸命コンタクトをしてきました。見習わないといけない部分があった。自分たちが押し込まれた時間帯もありました」
市尼をなめずにライン裏へのキック、モールと普段通りの戦法をとった。社交辞令はない。そして完封、11トライの圧勝でも安藤は相手への尊敬を忘れなかった。
市尼主将、2年生のSO吉本克哉の表情に放心や諦めはない。
「人数を言い訳にしたくありません。もっとやれたと思います。トライは獲れたはずだし、相手のトライはもっと抑えられました」
ただ悔しさのみを語るところに、全力でぶつかって行った軌跡がある。
厳密に書けば、市尼は当日提出するメンバー表に16人の名前を書き込んだ。16番目の1年生、森下大樹は試合の3日前に入部した。初心者だった。監督の吉識伸(よしき・しん)は高田の代わりに送り出さなかった。
「いや、そりゃ無理です。安全面の観点からも出せません」
昨年11月、新チーム結成時の人数は17人(女子マネジャーは5人)。1月11日の初戦、県立兵庫工業戦で県選抜レベルの2年生PR、梶本直樹が左ひざじん帯を断裂する。早期の復帰は不可能だった。さらに1人がケガをして15人になる。
ローカル・ルールの県大会は試合中の負傷退場の場合、2人減の13対15まで対戦は認められている。12人になれば没収試合となり、少なくなったチームが負けになる。
規則にのっとった中で市尼は戦い、4大会連続で県ベスト4に入った。内訳は2014年度近畿予選、同春季総体、同全国予選、そして今回である。
上位安定は1969年生まれ、45歳の吉識の指導によるところが大きい。吉識はPRとして報徳、大阪体育大で公式戦に出場。32歳で教員採用試験に合格、体育教員として2002年から市尼で教鞭をとる。デフ(聴覚障害者)日本代表の監督も経験している。
練習メニューはユニークだ。前転をしながらランパスをしたり、おんぶ走を1キロさせたりする。
「今は受け身を取れない子がいます。安全面を優先して主に体幹を鍛えています」
市尼の学校創立は1913年(大正2)。2013年には100周年記念式典が行われた。普通科と県全域から進学できる1学年80人の体育科がある。しかし、ラグビー経験者は報徳、関学の2校や京都、大阪の強豪校に流れ、さらに人気は日本ハムの中継ぎ左腕・宮西尚生らを輩出した野球部などに集まる。そのため現在の体育科生は2年生3人、1年生5人の計8人しかいない。
その現状でもラグビー部は長く存在する。創部は1948年。今年68年目だ。全国大会出場はないが、県内では神戸(旧神戸一中)、兵庫(同神戸二中)に次ぐ3番目。主なOBにはNTTドコモのSH井之上明がいる。
人数難と戦いながらも、徐々に上がる知名度にふさわしい覚悟と品格も選手と保護者には備わってきている。
FB高田は実は前半3分、ハイパントキャッチでタックルを受けた時点ですでに骨折していた。痛みで上がらない右手でそこから18分間プレーを続けた。責任感からだった。
吉識は試合後、高田の母に電話した。試合中のケガを詫びるためである。母は返した。
「先生、ウチの息子のために負けてしまってすみませんでした。14人で戦わせてしまって、みんなにも申し訳ありませんでした」
吉識はつぶやいた。
「お母さんに謝られてしまいました。ものすごく恐縮してしまいました」
主将の吉本は今後の課題を口にする。
「関学とはフィジカルのところが全然違いました。もっとウエイトをつけて、接点のところを強くして、リベンジしたいです」
4月には入学式がある。新入生を迎え、ケガ人も癒える。メンバー不足は解消される。次回の公式戦は5月。県春季総体でまずは5大会連続の県4強を目指していく。
【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。