「紹介してくれたトエアバとは高校時代によく対戦したし、オークランドの選抜チームで一緒にプレーしたこともあります。キヤノンでもチームメイトだったし何か縁があるのでしょうね。彼は非常に創造力がある選手で、オールブラックスにも選ばれた。普段は話していて楽しい男で、ジョークも面白い。試合後は対戦相手とすぐに仲良くなれるタイプです」
「トンガのヌカロファで生まれて、父の勧めで6歳からボクシングを始めました。友人たちの多くがラグビーをしていたので、いつかはしたいと思っていましたね。実際には、13歳でNZに移り、そこからラグビーです。ロッキーと呼ばれるようになったのもラグビーがきっかけです。私の本名はウルアキイオラ・イイアラフォア・カエタウ・ハビリ。非常に長くて、NZ人には呼びにくかった。映画のロッキーを見てこれだと思い、自分でロッキーにしました(笑)」
「最初はNO8からでしたが、足が速かったのですぐWTBに。ボクシングは1対1でしたから、チームスポーツの難しさを感じましたが、プレーをすればするほど好きになりましたね。特に、コンタクトが楽しくて、タックルも好きでした。オークランド州の高校選抜など、高いレベルでプレーするチャンスをもらったので、それも楽しかった。高校卒業後はオークランド・ブルーズのコルツやバーバリアンズ、デベロップメントチームにも選ばれた。でも、当時のWTBにはジョー・ロコゾコなどオールブラックスで活躍する選手が多くいたので、スーパーラグビーには行けなかった。なので、ラグビーは続けましたが、マシーン・エンジニアリングの仕事をしていました。仕事の内容は、機械を動かすためのコンピューターのプログラミングで、高校卒業後に自力で勉強して手にした仕事。それは大変でした」
「プロのラグビー選手になったのは日本から。2007年のサントリーが始まりです。言葉の面で心配でしたが、来てよかったとすぐに思いました。子どもたちのことを考えると治安面で安心だし、人々は礼儀正しく、優しく、フレンドリー。家族が楽しめる環境なのが一番でした。そもそも、エージェントから日本でラグビーをしないかと言われた時、日本でこんなにラグビーをしているとは想像もできなかった。個人的には、日本はマラソンやテニスの印象が強かったので。しかも、トンガ人がたくさんいた。高校から来ているのも知らなかった。びっくりしたのは東芝にルアタンギ侍バツベイ(当時 日本代表LO)がいたこと。彼は3歳ぐらい年上で、トンガでは有名な陸上選手。当時は細くて足が速かったのですが、かなり大きくなっていました(笑)」
「当時のサントリーはFWが強くて、シンプルで分かりやすいラグビーでした。その後、移籍したリコー、キヤノンはフィットネスが要求されるランニングラグビー。攻撃のテンポを大切にしていました。2年前に帰化しましたが、今は外国人枠に悩むことなく勝負できるので、その面ではうれしいです。ただ、今は怪我のリハビリ中で合流できていないのは残念ですが、ベスト4に入れたのは良かったし、チームの進化を感じています。ラグビースタイルも、静かな町の環境も大好きです。同級生のモセ(・トゥイアリイ)もいるしね」
「私が紹介するのは、リコーのカウヘンガ 桜エモシ。日本に来てから知り合った友人で、リコーでのチームメイト。大きくて、パワーもあり、身体中にタトゥーが入っていて、初対面の人は怖いと思うでしょうが、実は優しい男。非常に、非常にいいやつです」
【Player Profile】
ハビリ ロッキー ROCKY HAVILI
ヤマハ発動機ジュビロ所属(WTB)
身長182センチ、体重102キロ。1980年3月8日、トンガ生まれ。
オネハンガ高出身。 U21オークランド、オークランド・ブルーズコルツ、オークランド・バーバリアンズ、オークランド・デベロップメント。NPC:イーストコースト。TL:サントリー→リコー→キヤノン→ヤマハ。