12月6日、底冷えのする京都市の西京極陸上競技場にて、関西大学Aリーグ最終戦が行われた。まずは、各大学のレギュラー予備軍が戦う「ジュニアリーグ」の優勝決定戦で、天理大が同志社大を破って全勝優勝を飾った。天理はシニアで優勝した関西学院大も39-0で破っており、ジュニアでは圧倒的な強さを見せた。先発15人中7人が1、2年生で来年が楽しみなチームだ。
そして、午後2時5分、立命館大学×同志社大学がキックオフされた。すでに関西学院大学の優勝、京都産業大学の2位が決まっており、勝ったチームが3位になる戦いだった。しかし、両チームにとっては昭和7年から続く伝統の定期戦である。4年生にとっては最後の定期戦、そして、最後の関西大学Aリーグの試合ということで集中力の高い好ゲームになった。
先蹴りの同大は、FW陣が左右に分かれる「スプリット」でボールを確保するなど、先手をとって仕掛けた。これまで途中出場で攻撃テンポを上げていたSH大越元気を先発させ、攻撃的SO渡邉夏燦とのHB団で素早くボールを動かし、フラットなパスで次々にゲインラインを突破した。前半7分、立命大ゴールラインに迫ったラックから縦、右、縦、右と順目を攻め、最後は右コーナーにWTB松井千士がトライ。SO渡邉が難しいゴールを決め、24分には、FWでゴールライン直前まで前進し、素早く左オープンにボールを出してCTB木村洋紀がインゴールに飛び込んだ。
この攻撃起点もスクラムだったのだが、同大は、前半3分、ゴール前正面という先制PGチャンスも狙わず、スクラムを選択して圧力をかけた。この徹底が後に生きることになる。24分のトライに至るプレー中、スクラムの大黒柱であるPR才田智が右肘を脱臼して退場したのだが、代わって入ったPR海士広大が見事に穴を埋めた。控えからのスタートが多い海士は、もともと3番(右PR)の選手だが、1番(左PR)も組むことができる。スクラムの強さも先発PR北川賢吾、才田智とそん色はない。
一方、前半を0-20とリードされた立命大は、後半反撃に出る。「同大のディフェンスは前に出て来るので、裏のスペースへのキックを狙っていこうと話していました」(立命大・中林正一監督)と、SO山中駿佑が絶妙のパントでチャンスを作り、WTB三島藍伴がトライ。7分、FL南友紀の力強いランニングからCTB市原淳平がトライを追加するなど、23分までに19-20と、1点差まで詰め寄った。
残り20分、白熱の闘いは続いたが、最後の10分は同大が相手陣深く入ってスクラムを押し、立命大が耐える展開となる。ピンチが続いた立命大は、「流れを変えたかった。フレッシュな選手が一発に集中してくれれば」と、左PRを渡邉彪亮から大崎雄広に入れ替える。しかし、このスクラムは立命大がコラプシングの反則。時間は後半35分になっていた。畳み掛けるように、同大がスクラムを選択する。直後、左PRの北川と右PRの海士が入れ替わった。ベンチの山神孝志が思わず声を出した指示だった。「相手が手を打ってきたので、打ち返したということです。次の対処を考えているときに相手のPRが変わったら、嫌なものですよ」。このスクラムでも、立命大はコラプシングの反則を犯し、同大にペナルティトライが与えられた。北川、海士ともに両サイドが組める利点を生かしての決勝トライとなったわけだ。
「勝ってほっとしています」と山神監督。「きょうの攻撃は、シンプルにボールを下げないようにしました。ラインアウトも変えました。この試合まで学園祭で休みの間に一週間合宿をしました。何となく上手くいっていると気づかなかったことを見直す時間がとれて良かったです。ここからはチャレンジャー。なんとか関東勢から勝利をあげたい。本当は関西でもチャレンジャーなのだけど、ときどき忘れてしまうんですよね」。ふと漏らした本音に、優勝を逃した悔しさがにじんでいた。
この結果、関西大学Aリーグの順位が確定。1位=関西学院大、2位=京都産業大、3位=同志社大、4位=天理大、5位=立命館大、6位=摂南大、7位=近畿大、8位=大阪体育大。そして、大学選手権セカンドステージでは、同志社、立命館ともにプールDに入り、東海大学、対抗戦2位(早稲田か明治)と戦う。4位の天理大は、帝京大、法政大、朝日大と同じプールAに入ることになった。
■関西大学Aリーグ最終戦結果
立命館大学● 19-27 ○同志社大学(前半0-20)
■関西大学ジュニアリーグ優勝決定戦
天理大学○ 36-15 ●同志社大学(前半14-5)
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年 4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーラン スの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコ メンテーターとして出演中。