ラグビーには抽選がある。既定の時間を戦い同点、さらにトライ、ゴール数も同じ場合、トーナメントでの次のステージ進出は封筒の中に入った紙片に委ねられる。
11月15日、第94回全国高校大会の和歌山県決勝でその抽選があった。「ワコー」の愛称を持つ県立和歌山工業高校と近畿大学附属和歌山高校(以下近大)は19−19の引き分け。県初の両校優勝となり、近大が「全国大会出場」を引き当て、初の花園に進んだ。
県勢最多となる2年ぶり21回目出場を逃したワコーは1947年(昭和22)に創部された。今年67年目を迎える伝統校。しかし、OBでもあり、産業デザインを教えている51歳の監督、山下弘晃に激しい悔いはない。
「先制され追い付く展開でした。最後にトライとゴールを決めて同点に持ち込んだ。だからよくやってくれた、という感じです」
直接抽選に参加した18歳の主将、SO池辺海はつらさが残る。
「白紙のカードを見た時、チームメイトにどんな顔をして報告していいかわからんようになった。泣かんとこうと思ってみんなの所に行きました。それでも泣けてきた。『ごめん』と言ったら、みんなは『カイのせいじゃない』って。そうしたらまた泣けてきた」
山下は振り返る。
「あの時の両チームのキャプテン(近大はHOの河内映樹)の態度は立派でした。二人とも表情を出さず、ポーカーフェイスでチームに戻って行きましたから」
高校ラグビーの盛んな隣の大阪府は予選決勝で4回の引き分けがある。戦後、全国大会が再開された1947年の第26回から今年の第94回大会まで。160試合の中でだ。
その内2回の全国大会出場を府立淀川工業高校(現 淀川工科)が記録している。1988年度の第68回と2年後の第70回大会。どちらも府立布施工業高校(現 布施工科)に6−6、4−4と引き分けた。
監督だった岡本博雄は言う。
「出場できた方は当たり前やが、相手の分まで頑張らなアカン、という気持ちになる。まあキャプテンにしたら、のしかかるもんはすごいわなあ。その3年間が引いてくる紙切れ一枚で決まるんやから。非情やなあ」
それでも現在も定年後の再任用で体育教師を続ける岡本は延長戦導入には反対だ。
「高校生が前後半30分をやって、10分の延長戦をやるのは体力的にかなりきつい。ケガ人が出る可能性があるわな。抽選は仕方ない」
制度に翻弄された山下も同意見だ。
「大学(豊橋技術科学大学)に入って、30分ハーフが40分になっただけでしんどかった。延長戦は安全面でどうか。それに私は保護者なんかに『ラグビーは勝ち負けにこだわらないスポーツ』と言っています。試合が終わればノーサイドの精神。今回でもどちらが花園に行ってもいい。そういうことを教えるのもラグビーを通した教育だと思っています」
山下は後手を踏んだ要因はわかっている。
「日常生活をきちっと指導してあげられなかった。しんどい練習をいくらしても生活がダメなら結果に結びつきません」
今は約3時間の練習終了後、監督と4人の女子マネージャーが調理するカレーなどの補食を摂らせ、会議室で全部員が1時間自習をする。A4版10枚の白紙のプリントを毎日宿題として手渡す。英単語を書こうが、数学の方程式を解こうが自由。本人任せだ。
「勉強を自主的にできる子がいる代は強い。やるべきことがわかっている、ということです。ウチが決勝戦などでスロースターターだったのは、全員が何をすべきかわかっていなかった点にあると思っています」
ワコーの学校創立はラグビー部に33年先立つ1914年(大正3)。今年100周年を迎えた。電気、機械など7学科を持ち県内の工業高校としては最古。企業との結びつきも強く、ラグビーと勉強が両立できれば就職、進学ともに開ける。
山下は日々の掃除も口うるさく言う。
「帝京(=大学)も仰星(=東海大)も、それが自然とできるチームはみんな強い。ウチも見習っています。掃除は『目配り、気配り、思い遣り』の全てが入っていますから」
校内中庭の芝生の草むしりはラグビー部の仕事でもある。
ワコーは抽選結果を引きずらなかった。決勝戦の翌16日には3年生8人を含め43人の全部員で隣県の奈良決勝に行く。合同練習や試合で10年来胸を貸してもらっている県立御所実業高校を応援。天理高校を17−12で下し、2年ぶり9回目となる全国出場を見届けた。17日の月曜日から通常練習に戻った。休みは入れなかった。普段通りの行動に山下率いるワコーの美学がある。
初の全国出場を決めた近大とは重縁がある。監督・田中大仁の父・政彦、そして部長の山本謙三の2人はワコーラグビー部OB。田中政彦はOB会会長をつとめる。部員たちは御所実同様、近大の花園1回戦も東大阪の地で応援をする。合同練習や練習試合を重ねて来た近大への仲間意識、尊敬は最後まで失わない。全国舞台に立てなかったが、ワコーは高校ラグビーのあるべき姿を映している。
【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。