ラグビーリパブリック

関西大学Aリーグのイケメン快足ウイング 松井千士

2014.10.16

 「胸のすく」という表現が使いたくなる。その走りを見ていると、なんだか、すっきりするのだ。関西大学Aリーグで連勝スタートを切った同志社大学のトライゲッター松井千士(まつい・ちひと 2年)のことである。

 10月5日の開幕戦では、天理大を突き放す1トライ。あっというまに30メートルを駆け抜けるスピードに花園ラグビー場(東大阪市)がどよめいた。翌週(10月12日)の大阪体育大戦では、キックオフ直後に、まるで相手がいないようにタッチライン際を駆け抜け、前半10分には、味方のパスをお手玉しながらキャッチし、2つ目のトライをあげた。宝ヶ池球技場(京都市)の記者席では、こんな言葉が聞こえた。「華があるなぁ」。

 圧巻だったのは、前半39分の走り。自陣深くからのキックを追いかけ、約75メートルを疾走。ディフェンダーを振り切り、インゴール右コーナーに転々とするボールに走り込む。本人は片手でボールに軽くタッチして、悠々と芝生を滑って行ったのだが、レフリーもアシスタントレフリーも置き去りにしてきたため笛は吹かれずノートライ。すぐに振り返って押さえれば確実にトライだったこともあり、試合後は「リアクションが遅れたのは修正点です」と反省の弁。もし、トライだったら、ちょっとかっこ良すぎたかもしれない。

 チームの勢いを引き出した活躍もあり、今季より関西リーグで新設された「マン・オブ・ザ・マッチ」に輝く。当然、試合後は報道陣に囲まれた。2年前、全国高校大会を制した常翔学園(大阪)の快足WTBとして高校時代から注目されていたが、今季はスピードが格段に増したように見える。その点について問いかけてみると、こんな答えがあった。

 「セブンズの代表に選ばれて、スピードの感覚が変わりました」

 松井はこの夏、7人制学生日本代表で世界学生選手権(ブラジル)に参加し、9月には7人制日本代表のアジアセブンズシリーズ香港大会のメンバー入りも果たした。

 「一対一で抜ける自信がつきました。いまは、(タックラーとタッチラインの間に)5メートルくらいのスペースがあれば抜けると思っています」

 50メートル走のタイムは、5秒8。ただ速いだけでなく、スピードの緩急がある。同大の山神孝志監督も全幅の信頼を置き、春から「松井勝負」を合言葉にしてきた。当然、各チームも松井がボールを持つと、2人、3人で囲んでくる。そうすれば、他の選手のスペースが広がる。松井はけっして個人プレーには走らず、パスをつなぐ。いずれにしても、「松井勝負」は相手にとって脅威だ。

 その松井だが、実は最初から足が速かったわけではない。高校1年生の頃は体も小さく、足も速くなかったので「SHになろうか」と真剣に考えた。ところが3年間で身長が20センチも伸び、その間のスピードトレーニングでスピードが大幅アップ。3年生の体育祭での部活対抗リレーでは、ラグビー部のアンカーを務め、陸上部のアンカーを抜き去って勝利したこともあったという。天理大から豊田自動織機に進んだ兄の謙斗も、かつて「弟は中学の頃は小さくて細かった。知らないうちに僕より大きくなっていた」と話していた。

 2戦で3トライをあげ、関西リーグのトライ王に向けて好発進だが、実はチームメイトのNO8末永健雄が、「千士とトライ王を争いたい」と宣戦布告。大阪体育大戦でもトライをあげ、試合後、松井に「きょうは何本?」と確認してきたという。苦笑いの松井は末永の猛追をかわせるのか。同志社ファンにはひとつ楽しみが増えたというところだろう。

 関西大学Aリーグに久しぶりに現れた「イケメン快足ウイング」は、当分、関西のラグビーファンを楽しませてくれそうだ。

(文:村上晃一)

【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコメンテーターとして出演中。

(写真:記者対応する同志社大のWTB松井千士)
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