顔をくしゃくしゃにして泣いていた。少年たちの前で石川善司監督が言った。
「これは、うぶごえだぞ」
教え子たちの嗚咽が、生まれたての赤ん坊の泣き声に聞こえた。監督には、全員が感情を露わにしたその瞬間こそが、チームとしての本当の出発点と感じた。これまでの活動の中で、そんなことはなかった。
小雨が降っていた。9月7日。江戸川区臨海球技場で高校ラグビー、東京都の花園予選1回戦がおこなわれた。八王子拓真(たくしん)高校×学習院高等科。45-0で学習院が2回戦に進んだ試合は、八王子拓真が初めて単独チームとして戦った公式戦だった。
創立8年目の同校は定時制(普通科・単位制)の高校だ。朝・昼・夜と三部制のコースがあり、生徒たちはいずれかの時間帯に学びながら、仕事やアルバイトに就く。以前に不登校の経験がある生徒も少なくない。社会と付き合うことが少し苦手な生徒たちが、自分たちのスタンスで高校生活を送る。
ラグビー部は2010年に創部。石川監督が赴任して今年で3年目となる。これまで合同チームで大会に出場してきたが、今年は単独チームとしてエントリーすることを目標にして、部員集め、トレーニングを進めてきた。それぞれ登校する時間がバラバラのため、共通の放課後なんてない。だから、どの時間帯に学ぶ生徒たちも集まることができる昼休み、12時30分から13時までだけは全員が校庭に出て、毎日練習することにした。
やんちゃな子もいる。人と接することが苦手な繊細な者。運動があまり得意ではないラグビー愛好家も。生活サイクルとキャラクターの違いを乗り越えて、毎日30分だけ顔を合わせることを全員でやり通したのは、少年たちの純粋さゆえだった。
今回この試合の取材に向かったのは、顧問のひとりである佐藤圭介先生からのFAXがラグビーマガジン編集部に届いたのがきっかけだった。
「初めて単独チームとして大会に出場できることになりました。個性あふれる部員ばかりです」
愛情あふれる一枚。送り主は教え子たちのことを「愛すべき男たち」と評し、「言われたことをやり続ける真面目さは彼らの強さ」と愛でた。
雨の降りしきる中でおこなわれた試合は0-45。必死のタックル。がむしゃらなアタック。夢中になって相手とボールを追い続けたけれど、水色のジャージーは最後のホイッスルが鳴るまで、ついに一度もトライラインを越えられなかった。
学習院の選手たちと握手を交わした後、ピッチの外へ。グラウンドの隅で輪になった。少年たちはうなだれていた。顔をゆがめる者が何人も。鼻をすする者。涙を流して下を向く者も多数。
監督は「拓真ラグビー部の歴史が始まったな」と言って、語りかけるように話し続けた。
「力およばなかった。しょうがない。勝負なんだから。社会に出ても、頑張っても、思いが届かないことなんかいくらでもある。大事なのは、どれだけのことをやってきたか。この3年間、みんな頑張ったよな。そのことは社会に出たとき、絶対に生きるから。
悔しいな。練習量足りないよな。でも、お前たちは(仕事やアルバイトなど)やることが全日制の高校生より、たくさんある。その中で、時間を作って練習した。それを忘れるな。(トライまで)あと20メートルまで行ったよね。80メートルは走ったんだ。次は、あと20メートルを取り切る練習をしよう。胸を張って帰ろう。ナイスゲーム。ナイスゲーム」
そう言って監督が選手たちに拍手をおくると、周囲で見守っていた人たちもそれに続いた。
何度もラインブレイクしたキャプテンの志摩ビクタールは、中学時代は「何もしていませんでした」。高校入学後はパン屋さんでアルバイトをしながら、夜間部に学んだ。日本人の父とウクライナ人の母の間に生まれたCTBは、単独チームで大会に出場できただけで嬉しかったはずなのに、どれだけ攻めても1トライも奪えなかったことが悔しくて涙をこぼした。そんな感情があふれ出たのも、毎日練習したのに思いが届かなかったからだ。以前のように、たまに集まって練習していただけでは、涙は出なかっただろう。(合同チームで)他校のエースを加えてトライを奪ったとしても、果たして嬉しかったかどうか。
「ボールを持つ人が先頭で、他の14人がうしろで支える。サポートする。ラグビーの、そこが好きなんです」
このラグビー部での3年間で、キャプテンは「目標は日本代表」と言えるようになった。帰宅部だった頃の自分が他人のようだ。
バイスキャプテンの青木駿太はこの部に4年間在籍した。小さな体だけど、FLとしてこの試合でも何度もタックルした少年は、初めて取り組んだチームスポーツのワンシーンが大好きになった。
「トライすると、みんなが喜んで駆け寄ってくるでしょう。チームでプレーしているなぁっと思うし、みんなの優しさを感じられるんです」
4年間で自分のトライは、練習試合での1つだけ。そのときの感覚は、人生を一生支えてくれそうだ。
卒業後は、タイル貼りの職に就きたいと言う青木は、その理由を真面目な顔で話した。
「力のいる仕事です。ラグビーをやってきて、体力には自信があるので(笑)」
大企業のトップがラグビー経験者だと知ると、勝手に誇らしく思う。街角で楕円球を追ったことがある人に会うと、もっと嬉しい。鉄板焼き店のお兄ちゃん。すましたライフプランナー。偶然楕円球界の住人だったことを知り、いっきに距離が近づいたことはいくらでもある。
ビクタールくんも、青木くん、他の仲間たちも、社会に出たら「拓真でラグビーをやっていた」と胸を張ってあちこちで口にしてほしい。全力で走る相手に、全力でタックルしたことがあるのだと知ったら尊敬と信頼を得る。
社会に出たこの少年たちと、またどこかで会いたいな。
【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。