大学時代の同期にボールを忠実に追いかけるFLがいた。彼は阪神間のラグビースクール(RS)で指導員をしていた時期もある。久しぶりに電話で話した。
「おい、いまだにメンバーを均等に試合に出す奇特なRSってあるんか? 」
「今は全国大会や県大会があってなかなか難しいなあ。せやけど、あっこなんかは頑張って全員を使うようにしてるよ」
「あっこ」とは兵庫県RSである。
試合に出ないとおもしろくない。でも勝つためにはレギュラーを決めた方がいい。そんな生徒や保護者と指導員やチームの相反する希望をできるだけかなえるべく、兵庫県RSはチャレンジを続けている。
ホームページには6つの指導方針が載る。その最初に書かれている。
「必ずしも勝利を求めない」
幼児、小学各学年、中学、レディース、タグ専門と9つのクラス、約200人をまとめる校長の澤村春雄は話す。
「できるだけ長くラグビーを続けてほしいから、ウチはできるだけたくさんの子供を試合に出すようにしています。出る、出られないで子供たちの間に溝を作るのが嫌なので」
小学校1、2年は5人、3、4年は7人、5、6年は9人制で試合をする。現在メンバー交代は前後半10分のハーフタイムに限られている。そのため20人近い生徒がいる各学年の全員出場は実際問題としては不可能だが、努力はする。グラウンドでの実務を取り仕切る副指導部長の兵庫寛之は言う。
「勝利に固執し過ぎるといろいろ問題点が出てきますから」
校長と実務担当者の思いは同じだ。
12人制で戦う中学部は今月23日に年間の最大イベント、県大会初戦を迎える。最後の大会になる3年生は女子1人を含め12人いるが、指導員の高橋晃仁は全員を使う予定だ。しかし、8月23日から2泊3日で県内兎和野(うわの)高原でおこなわれた夏合宿では勝利を望むあまり、「ベストメンバーで戦いたい」と訴えた3年生もいた。
「そうじゃないだろう、と。みんなでここまでやってきたんじゃないか、と話をした。まあすぐに分かってくれたけどね」
高橋は勝ち負けの最前線で戦った。神戸製鋼で日本選手権、社会人大会7連覇に貢献した元WTB。それでもRSの方向性を理解して、生徒たちに落とし込む。
小学4年の渡辺蒼平はにこやかだ。
「勝ったらうれしいし、負けたら悔しいけど、みんなと試合に出られるのは楽しいです」
県や全国大会がある以上、優勝を目指すのは当然だ。その中にあって兵庫県RSは独自のスタイルを貫いている。
その歴史は古い。東京(現在は閉校)、岡山、京都に続き、県ラグビー協会などのバックアップを受け、関西では2番目のRSとして1968年に創立された名門だ。ジャージーは赤と白が四分割された市松模様。左胸には所在地、そして県協会のシンボルでもある神戸牛がプリントされている。色使いやマークなどは今日まで47年間変わらない。
練習は週末の土日を使う中学以外、日曜の午前中に2時間半程度。神戸市東灘区の神鋼灘浜グラウンドなどを借りて練習をする。
主な卒業生は現日本代表SHで36キャップの日和佐篤(サントリー)。神鋼、日本代表元監督で現役時代はSHとしてキャップ1を持つ萩本光威は一期生である。
「勝利至上主義からの解放」とともに力を入れているのは「安全対策」だ。毎年4月の開校前には健康診断を義務付ける。毎回、練習前には保護者による10のチェック項目のある健康手帳を提出させる。基本的には医師が在駐。決して無理をさせない。現在78歳、自身の息子2人の入学などを含め40年以上チームに携わる校長の澤村は胸を張る。
「これまでの長い歴史の中で死亡事故は0。後遺症の残る大きいケガもありません」
兵庫県RSには若年層のラグビーにとって本来必要なものがある。
30年以上ラグビーをはじめアマ、プロ野球、ボクシングなどさまざまなスポーツを取材した元毎日新聞記者の村上清司はラグビーのよさを問われ、こう語っている。
「弱い奴をかばう。みんなで盛り立てる。メンバー全員が強かったらいいけど、そんなことはまずない。その中で助け合うのがいい。それは社会の縮図でもあるからね」
【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社、14年10月発売予定)がある。