ラグビーリパブリック

【田村一博コラム】 大歓声の中へ。

2014.06.26

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 4年前のやりとりを思い出した。「耳が聞こえないことを、目で最大限にカバーするようにしているんです」と言っていたもんね。
 こちらが探し出す前に見つけてくれた。6月22日、ニッパツ三ツ沢球技場(横浜)の正面入り口前。帝京大学と早稲田大学が関東大学春季大会で戦った試合後だった。
 試合前日、両チームの出場メンバーを確認しようとインターネットを見ていたら、両大学B〜Dチーム同士の試合結果が目に入った。すべての試合に勝利を収めた帝京大学は、それぞれの試合のマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)をいつも選ぶ。その中に大塚貴之(WTB)の名前を見つけたから、久しぶりに話したかった。

 2010年の夏。大分雄城台高校のグラウンドを訪ねたときに初めて会った。当時、同校ラグビー部のキャプテンだった大塚は、聴覚に障害を持ちながらチームの先頭に立っていた。打倒・大分舞鶴。毎日毎日、そう思い続けている少年だった。
 生まれてからずっと、無音の中で生きてきた。引っ込み思案だった子どもは、小学生の時に楕円球と出会ってから積極的な性格に変わっていった。
 ただでさえハードで、コミュニケーションがとても大事なスポーツに、障害とともに挑む。強い意志がいつも支えていた。その姿勢を当時の仲間は、「言葉でなく、気持ちをぶつけてくる」と表現していた。誰より情熱にあふれているから、闘志を胸に秘める仲間に対し、「舞鶴に勝ちたいのは俺だけか」と言ったこともあった。
 しかしキャプテンの思いは、やがてチームを変えた。全員が気持ちを表に出すようになったチームは、ひとつになっていった。ラストゲームとなった花園予選の大分県予選決勝では大分舞鶴に7-14の惜敗だったけれど、試合後にはみんな泣けて、抱き合えた。

 そんな高校時代を過ごした大塚がいま、大学日本一を5年続けるチームで最終学年を迎えている。先の早稲田戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたのは、Dチーム同士の試合でのことだった。
 4年ぶりの再会。久しぶりの会話。以前と同じように、口元をしっかり見つめ、こちらの言葉を理解する。
「これまで、3年生の時にBチームにあがったのが最高です。ただ、そのときにケガをして、その後なかなか上にあがれなくて」
 現状に満足はしていないけれど、充実の日々を過ごしていることが表情から伝わった。
 学年を重ねていく中で、いろんなことに思いを巡らせる余裕もできた。グラウンド内外で規律を求められる生活に、これまで以上に頑張れるようになったし、やり切れるようにもなった。意識の高い仲間との日々には刺激も多い。
「全員が常に同じ目標に向けて努力し続けていますし、目標を見失いかけている人がいても、まわりが(その人が)再び(目標を)見れるようにアプローチする風土が(このクラブには)あります」
 自分に対する仲間の振る舞いも心地いい。
「みんな普通に接してくれる。中には、わかりやすく伝えようとジェスチャーなどを入れてくれる人もいますが、そうすることでお互いの距離が縮まっている(笑)」
「望んでいた環境」と言い切る顔が大人になっていた。

 いま、いちばんほしいものを「信頼」と口にする。「信頼される人間、プレーヤーになりたい。そういう存在がこのチームでは求められているし、そうでないと、Aチームには入れない」と考えるからだ。マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた先の早大戦でフルタイム出場して信頼されていると感じた部分もあるが、「戦術上のプレーを任されないことに、まだまだ信頼が足りないとも感じました」と逡巡する。
 ただ、大学での過去3年間に示してきた態度は、間違いなく周囲に認められている。Aチームで活躍する同期のFL杉永亮太が口にしたのは、仲間にしてみれば何より嬉しい言葉だった。
「一緒に試合に出たい。性格や気持ちはプレーに出ます。攻めても守っても前へ、前へというプレースタイルは、あいつ(大塚)の姿勢そのままなんです。みんなもそれがわかっていますから、信頼している。あいつの努力は、誰もが知っています」

「絶対にAチームの試合に出たい」と、残る半年に死力を尽くすつもりの大塚は、両親や高校時代の恩師に、あまり連絡をとっていないと言った。願いが叶うときを待って、と思っているからだ。その時が大学選手権決勝になれば、いちばんの孝行だろう。そうでなくても最後の最後まで死力を尽くし、自分が「ここが到達点」と納得したところで伝えたい。
 高校時代のラストゲーム前の激励会。部員、関係者の前で、両親へ感謝の気持ちを伝えたことがある。
「僕は耳が聞こえない。でも、ラグビーを反対しなくてありがとう」
 あのとき舞鶴撃破の快挙は届けられなかったけれど、今度こそ最後の最後にでっかいプレゼントを贈りたい。
 いろんな人の期待を受ける大塚には、どうしても陽の当たる舞台で活躍したい理由がある。それは大学入学前、推薦入試の論文にも書いたことだ。
「僕が活躍すること、それを知ってもらうことで、全国の障害者に勇気と希望を届けたい。そう思っているんです。これは約束したことだと思っています」
 167cmのランナーは、これが背中を押すいちばんの力になっていると話し、「有言実行です」と言ってこちらの目を見た。
 音のない世界の住人が、大歓声の中で走る。そのシーンは、すべての人の心を揺さぶりますよ。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

(写真:帝京大学4年のWTB大塚貴之/撮影:松本かおり)

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