0−43のスコアとは裏腹に内容は引き締まっていた。無抵抗でトライを許すようなシーンはほとんどなかった。食らいついて、食らいついて、それでもつながれてスコアが広がってしまう。そんな試合だった。
ゴールデンウィークに福岡県宗像市のグローバルアリーナで開催されたサニックスワールドユース交流大会。決勝トーナメントの準決勝で、東海大仰星はニュージーランドのハミルトンボーイズに敗れた。結果は完敗だったけれど、仰星の選手たちはよく戦った。単純な点差だけでは読みとれない健闘が随所にあった。ちなみにその前日、ハミルトンは今春の全国選抜大会を圧勝した東福岡を62−10で粉砕している。その強烈なインパクトも、「仰星善戦」の印象を増幅させた。
満足とはいかないまでも、ある程度の達成感はあるだろう。そう思って試合後、話を聞きに訪ねた。すると、仁王立ちするように腕組みをし、眉間に深い皺を刻んでクールダウンする選手たちを見つめる湯浅大智監督の姿があった。
昨冬の花園でコーチから監督に昇格して1年目で全国制覇を遂げた32歳の青年監督は、開口一番に言った。
「昨日のミーティングで本気で勝つための戦略を立て、絶対に勝とうと言って臨んだ試合に、大差で負けた。それなのに誰も悔しそうにしていない。そこそこやれたな、くらいの感覚なんです。それが悔しくて」
ハッとした。その感覚、忘れてたな。そして自分の想像力の欠如を恥ずかしく感じた。いつも、思い込みで取材してはならないと戒めているつもりだったのに。
湯浅監督は、「そこまでの気持ちを作ってあげられなかった自分の責任なのですが」と前置きした上で、言葉を継いだ。
「ニュージーランドや南アフリカには勝てるわけないと、自分たちで勝手に決めつけているんです。ここの意識が変わらなければ、日本はいつまでたっても彼らには追いつけない」
もし日本の高校生に同じ点差で敗れたなら、選手たちはもっとショックを受け、しばらくは立ち上がれないほど悔しがったはずだ。最初から「勝てない相手」と決めてしまえば、戦いに臨む際の意識は「絶対に勝つ」から「これくらい善戦すればいい」に引き下げられる。それでは限界の一歩手前でブレーキがかかる。本当に本当の本気の勝負はできない。
東海大仰星の選手たちが全力を尽くさなかったというつもりはまったくない。彼らはどこまでも懸命に戦った。投げやりな場面は一度もなかったし、十分称賛に値する内容だった。ただ、本気でニュージーランドを倒そうとすれば、それでもまだ足りない。心の底から勝てると信じてピッチに立てないと、結局はどこまでいっても善戦どまりで終わる。これは、日本のラグビー界全体が乗り越えなければならない壁ともいえるだろう。
取材者としてスポーツの現場にたずさわっていると、このように貴重な教訓を得ることが多い。ドキッとしたり、感銘を受けたり、あるいは反省したりすることばかりといってもいい。つくづくみずからの未熟を思い知らされる身にすれば、せめて教わった「学び」を胸に刻み、この先に生かしていこうと決意するのが精一杯だ。
今年の2月、昨冬の花園で初出場を果たした京都・桂高校の杉本修尋監督に、「ラグビークリニック」誌の取材でインタビューした。伏見工業や京都成章といった全国的な強豪がひしめく激戦区を勝ち抜き、未経験者も少なくない公立校を聖地へと導いた信念の指導者は、大いなる決意と若干の歯がゆさのにじむ口調で言った。
「ラグビーやっている人って、わかる人だけわかればいいというところがあるじゃないですか。でもそれでは発展していかない。もっといろんな人に入ってきてもらえるようにしていかないと」
そして続けた。
「やっぱりやるからには、ラグビーを日本で一番人気のあるスポーツにしたいじゃないですか」
ああ、なかったなー、その感覚。ラグビーは特殊な競技だから理解されなくてもしょうがないと考えているところが、自分にもあったかもしれない。それによっていくつかのチャンスを見逃していた可能性も。たしかにそれでは、ラグビーの輪はいま以上は広がっていかない。
ラグビーを日本で一番人気のあるスポーツに。いい目標をいただきました。
【筆者プロフィール】
直江光信(なおえ・みつのぶ)
スポーツライター。1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。