ラグビーリパブリック

【向 風見也コラム】 ラグビーマガジン500号に際して

2014.05.01

mukai

 2014年5月号で、『ラグビーマガジン』(以下『ラグマガ』)は500号を迎えました。執筆陣の末席にいる1人として、大変遅ればせながらお祝いをさせていただきます。おめでとうございます。

 初めて『ラグマガ』へ寄稿したのは、427号(2008年4月号)でした。記事は「羊たちの沈黙」という名前でした。リコーブラックラムズのトップリーグからの降格に際し、オフィシャルサイトの仕事で全試合を取材していた筆者が低迷の原因と復調への鍵を描いたものです。

 日本のラグビーメディア界に横滑りして2年目の当時、編集長から事前に「リコーのこと書いて、波風、立ちませんか」との打診をいただいたのです。締切の迫る2月の中旬、見開き2ページをどうにか埋めるべく部屋にこもったものです。

 図らずもこの記事の主人公となった当時主将の伊藤鐘史選手は、チームの再昇格の翌年度に神戸製鋼へと移籍します。444号(2009年9月号)では、正式発表に至る過程を私がリポートすることとなりました。そのなかでご本人は言っています。

「責任感が強すぎて、俺の力で何とかしてやろうと背負いすぎる部分もあった」

 同選手は移籍規定により向こう1年間、公式戦への出場ができませんでした。それと前後し、度重なる負傷にも泣かされました。しかし、2012年春、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチに「イッショウケンメイ」の姿勢が認められ31歳で初の日本代表入り。翌年6月15日の東京・秩父宮ラグビー場では、ヨーロッパ王者だったウェールズ代表を23−8で下したテストマッチで背番号5をつけておりました。 

 私は現役でプレーしていた頃は、正直、あまり『ラグマガ』を手にしませんでした。都立狛江高校のグラウンドでの練習はそれなりにやっていたものの、ラグビー界そのものへの造詣が薄く、それ以前に活字を読まなかったのです。大学時代はレジャーと無駄遣いの季節でした。

 それでも、どういうわけか、資格と免許が要らないのをいいことにラグビーと文字に寄り添う職業に就き、いまは『ラグマガ』を主戦場のひとつとしております。『ラグマガ』の取材を通じて多くの出会い、知見に触れることができました。

 確かなキャプテンシーとシャイネスの同居を覗かせたのは、昨年度の中大主将だった山北純嗣選手(現コカ・コーラ)です(495号=2013年12月号および『第50回全国大学ラグビー選手権プレビュー 大学選手権展望号』=2013年別冊新春号)。毎年、大阪・近鉄花園ラグビー場で全国高校ラグビー大会がありますが、2010年別冊新春号の『花園90年』では、後のジャパンが「全国への道が閉ざされた青年たちへのメッセージ」を残しています。「花園に行く人をけなす感じにならないですかね。大丈夫ですか」と気遣いながら。

「ラグビーを通して得た人、経験、気持ち。それが花園に届いとけばいいと思います。勉強、恋愛とかも含め、誇れる高校生活を送れていたら、それは花園と同じ…それ以上の価値があるんじゃないですかね」

 福岡県立小倉高出身、現パナソニックの山田章仁選手でした。

 編集部や執筆陣の皆様にも、公私問わずさまざまなシーンでご指導ご鞭撻をいただいています。それらは上司がいない私にとって、社会を渡り歩くための強靭な命綱です。

 複数名で連れ立って韓国へ取材に行った折、皆様は朝の散歩の帰りに「トイレ貸して」と別の宿にあった筆者の部屋をノック。テーブルのうえに「ロッテリア」の袋があったことをとても残念そうにされていました。

「市場に行けば、現地でしか食べられない安くておいしいものがあるだろう! それなのに…。しかも、ポテトも一緒とは!」

 私は、ひとりの朝食は冒険せずにやり過ごそうという取材者らしからぬ態度をとっていたのです。そういう油断や隙が原稿の出来(選手にとっては試合の結果)に大きく関わることは、日々の取材を通して知ることとなります。

 とはいっても、皆様には決して怒られた記憶はありません。あくまで雑談の延長線上で、こういったあり方を再確認させていただくのです。
 
「記者なら、選手(取材対象者)に同業者の悪口は言っちゃだめだよね」

『ラグマガ』は月刊専門誌としての役割を全うされています。ある大学生選手が特集されて間もなく、日本代表となったこともありました。話主は編集長でしたでしょうか。「さすがラグビーマガジンでしょ。ま、たまたまだけど」。根底に強烈なジャーナリズム精神を据えながら、全ての意見をありのままに受け入れ、いつかの私より数倍も熱心な少年ラグビーマンたちに刺さる誌面づくりを展開しています。

 それと並行し、確かな作品的な価値も示しておられます。

 452号(2010年5月号)、464号(2011年5月号)の表紙では、引退したばかりの元木由記雄さん(現京産大コーチ)や大畑大介さん(追手門学院女子ラグビー部ゼネラルマネージャー)が旧式モデルの日本代表ジャージィをそれぞれ身につけています。

 451号(2010年4月号)の表紙は、空中戦に挑む東芝の大野均選手。同年1月31日の秩父宮であったトップリーグのプレーオフファイナルの折、カメラマンの井田新輔さんが切り取った瞬間です。

「第46回大学選手権&第89回全国高校大会展望」として発売された別冊冬季号『ラグビーヒーローズ』は、とかく「集団意識」のモチーフとされがちなラグビーを「個人=ヒーロー」の側面から描いた一冊です。

「心のない賞賛はやめた方がいいよ」

 こちらも酒場で先輩方から教わったことです。加えて、特定のメディアへの賞賛記事は、「心」があったとしてもどこか他人行儀な雰囲気が漂い、書いた側としてもむずがゆい気持ちになるものです。ただ、こういう時ぐらいはお礼を言わせていただきます。本当にお世話になっております。ありがとうございます。私も『ラグマガ』の数多くの作品のひと…あれ?

【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。

(写真:BBM)
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