ラグビーリパブリック

元日の光景。  小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

2014.01.12

「おめでとうございま〜す」
「今年も宜しくお願い致しま〜す」
 元旦、近鉄花園ラグビー場の『J SPORTS』の中継控え室で、新年の挨拶を交わす。ここ数年の現象(感想)なのだが、旧来のかしこまった正月の挨拶が加速度的に姿を消しつつある。といっても、幸い「あけおめ」などと言う大人にはまだ遭遇していない。

「挨拶もすっかり簡略になりましたねえ」、
「新年を迎える厳粛な雰囲気も日本から消えちゃった」、などと実況の土居壮さんと言葉を交わす。
 そういえば、宿では年越しのNHKの番組「ゆく年来る年」を観なかったなあ。あの番組で紹介される日本古来の風習を映す景色は、どこか現実世界と遊離したパラレルワールドみたいに思えてならない。
 自分が中学生のときに読んだ吉川英治の「宮本武蔵」のなかに出て来た、厳粛な年越しの景色の描写と、現世とのズレは広がる一方である。

 さて、今年も元日には、花園の全国高校ラグビー3回戦だけでなく、様々なスポーツが行われていた。まずニューイヤー駅伝の呼び名で知られた、群馬県を舞台にした男子チームによる全日本実業団駅伝がある。過日、パナソニック ワイルドナイツのホームの太田市で乗車したタクシーの運転手氏がこんなことを教えてくれた。

「小学校へ通ってたときからね、毎朝赤城山を見るわね、そんとき、山頂の辺りに、ぽつんと小ちゃい白い雲が浮かんでることがあるさね、こういう雲が見える日は、お昼頃から必ず風が吹くんさ。風が吹く合図なんだわさ」、という話である。

 上州名物「赤城おろし」の空っ風には前触れがあるのだそうだ。ニューイヤー駅伝では、赤城山に向かって走る区間があるという。赤城おろしが強く吹く日には、前へ進めないくらいの向かい風の中を走らねばならず、これが駅伝の売り物の一つなのだという。その難関は第5区の太田から桐生までの距離15.8kmの区間だそうである。

 全日本実業団駅伝は1957年に開始され、元々は伊勢路で行われていたのだが、交通事情により、群馬県に場所を移したのを機会に1988年から元日に行われることになった。今年の第58回大会はコニカミノルタが優勝、2位はトヨタ自動車九州だった。

 次は、元日の東京国立競技場である。そこが天皇杯サッカーの決勝戦の舞台となることは周知の事実と言って良い。今年は横浜F・マリノスが2−0でサンフレッチェ広島を破って優勝したのだが、天皇杯サッカーの決勝が元日の国立競技場で行われるようになったのは、1969年1月1日からのことなのだ。1968年のメキシコ五輪で、サッカーの日本代表が銅メダルを獲得した同じ年度である。

 では、それ以前の元日の国立競技場で、一体何が行われていたのか。答えは、アメフトのライス・ボウルが正解だ。今、ライス・ボウルといえば、学生王座と社会人の王座が対決する日本選手権となっているが、そうなったのは1984年の正月3日からのことだ。それ以前のライス・ボウルは、東西学生オールスター戦であった。当時、元日に東京で行われるスポーツはライス・ボウルくらいのもの、筆者は何度も見に行った覚えがある。

 そして、東西学生オールスターによる国立競技場でのライス・ボウルは、1969年に元日から1月15日に移行して1983年まで続けられた。因に、日本選手権形式のライス・ボウルの会場が、国立競技場から東京ドームへと移ったのは1992年からということである。

 話を海外事情へと転ずる。欧州・英国では、日本の正月に当たるのがクリスマスという感じではないだろうか。彼の地でクリスマスにスポーツが行われることは決してない。新聞も12月25日は年に一度の休刊日となっている。一般に、クリスマス休暇は数日続くわけだが。クリスマスの翌日の最初の平日はボクシングデーと呼ばれており、この日にはラグビーやその他のスポーツ試合が結構盛んに行われている。

 昔のことだが、ボクシングデーという単語に出くわして、クリスマスの翌日に拳闘の日? まさか、と英和辞典を引いてみたところ、使用人に心付けの贈り物をする日のことで、前日に家族同士で交換した贈り物の空き箱(box)に、心付けの品を入れて渡したことからボクシングデーと呼ばれるようになった、というような説明がされていたと記憶する。

 そして元日の話。欧州・英国では、19世紀から20世紀のなかばまで、元日にラグビーのインターナショナル試合が数多く行われている。昔、この日は休暇期間内の都合の良い試合日であったらしい。特にフランスでは元日のラグビーは盛んだったようだ。
 1906年〜1948年にかけて、フランス代表は元日に15回もインターナショナル試合を戦っている。対戦相手はイングランド、アイルランド、スコットランドなどである。なかでも、1948年にパリのコロンブ競技場でフランスを破ったアイルランドは5か国対抗でグランドスラムを達成している。

 フランス・ラグビー最初のインターナショナル試合が行われたのは、1906年の元日である。相手は1905年から英国遠征を続けていた、デーヴ・ギャラハー主将の率いるNZ代表オリジナル・オールブラックスである。結果は8−38でフランスが敗れている。
 それから、フランス代表の名センターのギー・ボニファスがクラブ試合の帰路、交通事故で30歳の生涯を閉じるという悲しい出来事が起きている。1968年の元日のことである。

 英国での元日のインターナショナル試合は1試合行われたのみである。1910年の元日にウエールズ代表がホームのスウォンジーでフランス代表を49−14で下している。総当たりによる5か国対抗戦はこの年に確立された。
 ついでに、ラグビー史に名高い女性のストリーカー第1号となったエリカ・ローが、トゥイッケナムのイングランド対オーストラリア戦で上半身を晒したのは1982年の1月2日のことだった。

 新しい年を迎えて、来年2015年のラグビーワールドカップ・イングランド大会まで、あと20か月となった。今年のジャパンには、まずワールドカップ・アジア予選の突破というミッションがある。そして、世界トップ10入りへ向かって、さらなるステップアップの舞台となるのがパシフィック・ネーションズカップである。
 そこでは、ワールドカップ本大会での2勝を確信させてくれる内容の試合を見せてくれるものと信じている。

【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。

(写真:今年1月1日の花園第1試合。名護×東海大仰星で、グラウンドに飛び出る名護の選手たち/撮影:松本かおり)
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