ラグビーリパブリック

【田村一博コラム】 恩師から教わった。

2013.12.05




 思わず声が出た。
 渋谷での演劇鑑賞後のトイレの中。個室に座り、ツイッターで「桂」「ラグビー」と入れて検索する。お芝居と同じ時間に、恩師の率いる高校が花園予選の京都府決勝に進出していた。
 演劇の開演時間とキックオフ時間が同じだったから、腹痛で走ったトイレで結果を検索した。目に飛び込んだ嬉しい知らせに便器に座ったまま笑う。
 11月17日、京都府立桂高校は京都成章高校を26−5で破り、花園初出場を決めた。


 西村壮悟。新国立劇場演劇研修所(2期生)出身の俳優だ。京都府立洛水高校ラグビー部出身。12月27日に始まる全国大会へ桂高校を連れて行く杉本修尋監督とともに3年間を過ごした。現在33歳だから、もう10数年も前になる。


 中学時代のバスケットも、その前にやっていた水泳やサッカーの習い事も、すべて途中で投げ出していた西村が初めてやり切ったのが高校ラグビーだった。
 無理矢理連れて行かれた入部説明会。でも、教室を出るときにはやる気に満ちていた。
 やってみたらおもしろかったラグビー。それでも遊びたい盛り。部活をサボることもあったけれど、最後はグラウンドに戻った。
 大きな相手にビビリそうになった。でも、決死の覚悟でタックルした。FLだもの。
 すべては杉本先生のおかげだった。そして、仲間がいたからだった。


 入部説明会で先生は、これから楕円球に触れる人だってやれると教えてくれた。猛練習宣言でなく、楽しく、よく考えてやれば強豪校にだって勝てるんだ。話がとてもわかりやすかったから入部した。


 いつも楽しい練習を考え、真剣に取り組めるように工夫してくれた。県外まで出掛けて試合をしたり、いろんな試合のビデオを見たり。「授業のことは大丈夫なんかな?」とこっちが心配になるくらい先生はラグビーに没頭していた。
 だから練習をサボったときでも、先生の姿を思い出したらグラウンドに戻らなきゃと思った。


 口癖は「圧倒しろ」だった。ラグビーは内面が出る。そう思っていなかったら強い相手には絶対に飲み込まれるぞ、と。
 レギュラーとリザーブの間をうろうろしていた西村は、3年生の秋の大会で先発に起用された。相手は強豪一歩手前の頃の京都成章。試合前日、先生に「激しく」とだけ言われた。やった。力の限り戦ったら怪我をした。でも、試合には勝った。


 杉本先生はラグビーを教えてくれたのではなく、人生を教えてくれたと思う。ああしろ、こうしろと言われただけなら、楽しくとも、とてもキツイ練習を課した人だ。憎たらしく思っただろう。でも違った。一人ひとりの人間として付き合ってくれていた。
 そう強く感じた出来事があった。


 3年生の秋。先生の涙をおぼえている。
 思春期のうちに、大人の涙を見る機会は多くない。その日の練習が終わったときに先生は、洛水高校のラグビー部を指導することになったきっかけを話し始めた。


 前任の洛北高校から異動してきた先生は、最初は、ラグビーの指導をする気はなかったそうだ。
 でも校務の途中、校舎から見た光景に心を動かされた。校庭の少年たち、西村たちの何学年も上の先輩たちを見ていたら、またグラウンドに出たくなった。
「あまりにヘタクソだったから、何とかしてあげたくなったんだ」
 その日、なぜだかそんなことを話した後に先生は、ある事情で少しグラウンドに来られない日が出てくるかもしれないと言った。
 泣いていた。自分たちも泣いた。
「そのとき、自分たちのことをひとりずつの人間と認めてくれていると感じたんです。大人が、先生という立場の人が、プライベートなことを僕らに話すことってあまりないでしょう。だから」


 そんな付き合いだった杉本先生が、何十年も思い続けてきた夢を叶えた。すべてがつながっている。そう感じた西村は、自分たちの思いも高校ラグビーの聖地へ向かうと感じた。
 決勝戦の夜、あふれ出る思いを抑えきれずに書き込んだ自身のブログへの記事は、多くのラグビー関係者の琴線に触れた。
 そのブログに寄せられたコメントの中に、こんなものがあった。
「決勝戦をテレビ観戦された方でした。その放送の中で先生が、『お前達が花園に行かないと、日本のラクビーは変わらない』と言っているのを知った、と。感動されていました」


 変わらないな、と思った。西村たちも、いつも同じことを言われていた。
 努力はとても大切だ。努力をしないと強くなれない。だけど、楽しめている方がもっと強いんだぞ。きついことを楽しんでやれるようになったら最強だ。そうやっているお前たちが陽の当たる場所に行けたら、日本のラグビーも変わる。
 先生は何十年もいろんな教え子に、それぞれの高校でそう言い続けた。そしてやっと今回、足を踏み出せた。


 大学3年生で演劇の道を歩み出した西村。外国語大学に進学してはみたものの、目的のはっきりしないまま生きていた。勉強もしない。遊びすら中途半端。母親から、「高校時代とえらい違い」と言われていた。
 もう一度、打ち込めるものを探している途中で志したのが演劇の世界だった。ちょっと暗め…と思っていた世界に飛び込むのは躊躇したが、とにかくやってみた。


 大学の演劇部に入部。やがて初めての舞台を踏んだ。ちょっとした役だったが、散々な出来だった。
「どこかナメていたからだと思う」
 次にやってパッとしなかったら辞めようと思った。そして巡ってきたチャンス。前より真剣に練習に取り組み、その時を迎えたら、うまくいった。
 ラグビーで学んだことを思い出していた。高校に入る頃はモヤシのようだった身体が、高校3年の頃には80キロになっていた。すぐには変われなくても、長く継続してやれれば大きく変われる。大切なことは変わらない。


 基本。研究。観察。そして工夫。
 もうわかった。もう大丈夫。それが進歩のいちばんの敵だ。台本を何回も読む。台詞をおぼえて終わりなら、はいそれまで。ものの見方を変えて読む。理解が変わる。たくさんの準備をして舞台に上がれば、即興の相手にも対応できる。プランを立ててピッチに飛び出た後、対峙した相手を見て動きを変えるラグビーと共通点は多い。


 西村が出た新国立劇場演劇研修所は国のお金で運営されている。これまで、才能がある者が役者になってきた芸能の歴史。そこに風穴をあける試みでもある。
 才能のある者のみ足を踏み入れることが許され、実際の活動の中で基本も、才能も磨かれてたのがこれまで。しかし同研修所では、海外で演劇を学んできた講師のもとに志ある者を受け入れ(選抜はある)、育てる。作り上げられたカリキュラム。税金で役者を育成すること。新しいアプローチには、当然ながら疑問視する声がある。


 同研修所の修了生たちは、互いに語り、思っている。自分たちがもっと大きく、広い世界で活躍しないと、この研修所の存在も広く認められないよね、と。
 杉本先生の言葉を思い出す。
 お前たちがやらないと、何も変わらないぞ。
「そう。高校時代と同じなんですよ(笑)」
 先生は、ついに日本のラグビーを変える入口に立った。自分も前へ進みたい。


 生きていく上で大切なことは、ほとんどラグビーから教わったと思っている。自身にとってラグビーは高校ラグビーで、高校ラグビーは杉本先生だ。だから、人生の大切なことはすべて杉本先生が教えてくれた。そういう意味で、恩師とは一生の付き合いだ。
 この冬、桂高校の応援へ向かう。
 憧れの花園で、先生は何を教えてくれるだろう。



【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。


(写真)
京都府立洛水高校ラグビー部出身の俳優・西村壮悟さん。
ブログ『バオバブ!ってなんですかそれ?』の中の、決勝戦当日の記事は下記に。
http://sogonishimura.blog19.fc2.com/blog-entry-489.html


 

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