ラグビーリパブリック

女子日本一の日体大。2Tのヒロインは釜石出身のスピードスター。

2013.11.24

初めての日本一に喜びを爆発させた日体大ラグビー部女子。

 

 

 最後の最後に決まった。試合時間残り僅か。日体大の背番号11がディフェンダーが多くいるのに内に切れ込んだ。
「トライ後のゴールのことも考えました」
 釜石高校出身の平野恵理子が笑う。土壇場で20-20と追いつく貴重なトライ。平野の思いも届いて勝ち越す。しばらくして、日体大が悲願の日本一に喜んだ。

 

 11月23日に江戸川区陸上競技場でおこなわれた第26回女子ラグビー交流大会。日本全国のあちらこちらから、ラグビーを愛する女性たちが大勢集う毎年恒例の一日だ。第4回大会から、この競技場で開催されている(第1回大会=駒沢補助競技場、第2回、第3回=埼玉・ローデムパークだそうです)

 

 若いスピードスターたちが輝く7人制ラグビーばかりに、スポットライトがあたりがちな最近。しかし、幅広い年齢、さまざまな特徴を持つ人たちが必死になれる15人制をプレーしたくてたまらない女性はたくさんいる。15人制を単独チームで戦えるのは全国で日体大ラグビー部女子、世田谷レディース、名古屋レディースの3チームだけ。しかし毎年この日、江戸川に向かえば同志がいる。再会を喜び、チームを組んで試合に臨む。今回は全国から19チームが参加し、それとは別に、高校生たちも駆けつけた。

 

 一般の部、エンジョイメントの部、高校の部が朝から夕方までおこなわれる途中、昨年から実施されているのが『日本協会会長杯 全国No.1チーム決定戦』だ。単独で15人制を戦えるチームの中から、関東大会で優勝した日体大ラグビー部女子と名古屋レディース(昨年優勝)が戦った。

 

 前回大会と同じ顔合わせとなった一戦。スクラムをはじめ、FWの安定感で上回る名古屋が2トライを先にとった。キックを有効に使う。するどくしつこいブレイクダウン。日体大陣に深く攻め込み、インゴールになだれ込んだりした。
 対する日体大は、自信のある運動量を攻守に活かして対抗した。細かいパスをつないでボールと人を動かす。素早い集散を連続させる。こちらは前半終盤に2トライを返して前半を10-10で終えた。奪ったトライのひとつは、キックチェイスからつなぎ、WTB平野が快足を飛ばしたものだった。

 

 後半、先に勝ち越したのは日体大だったが、徐々にゲームを支配していったのは名古屋だ。変わらぬFWの安定。そこでタテに出て生まれた外のスペースにもボールを運ぶ。20-15とリードして終盤を迎えた。
 しかし冒頭のように、最後の最後に日体大が逆転した。名古屋の圧力に負けず動き続け、あくまでランニングスタイルを貫こうと意思統一した結果、巡ってきたチャンスをものにした。NO8岡田みどり主将は言った。
「名古屋のFWが強く、前に出てくるのはわかっていましたが、それに負けることなく自分たちも前に出続けようと言ってプレーしました」

 

 キャプテンは我慢の勝利と笑った。
「FWで我慢して、我慢して、チャンスが来たら展開しようと話していたんです。先制されたけど、80分の勝負と考えていたので慌てることはなかった。継続すること、ボールに走り込むことを忠実にやり続けた結果だと思います。嬉しい!」
 健志台で週3日、一日3時間の練習を重ねている。横須賀学院ではテニスをやっていたキャプテンは、地道な毎日を積み重ねて日本一にたどりついた。これが現役最後の大舞台。最高の思い出ができた。

 

 土壇場のトライを含め2トライと活躍した平野は、釜石高校出身の3年生。現在はセブンズシニアアカデミーのメンバーに選ばれるなど、着実に階段を昇っているスピードスターのひとりだ。釜石工業高校でプレーしていた父をはじめ、兄、姉も楕円人という環境下ですくすくと育った。小学1年生の時に釜石シーウェイブスジュニアでラグビーをはじめ、途中、陸上部での活動でスピードを高めてふたたびこの世界に戻ってきた。

 

 東日本大震災を地元にいるときに被災。地震発生時は土木の仕事に就く父の仕事を手伝うアルバイトで山にいたため津波からは逃れたが、避難所での生活を経験し、家族は仮設住宅に住む。辛い日々を経験した分、感謝の気持ちを忘れない。
「震災後、食べるものにも困って、普段の生活のありがたさを凄く感じました。だから、いまは(大学の)寮に住んでいるのですが、感謝の気持ちを忘れずに食事をとっています。もっと体を大きくしたい。もっとうまくなって、リオ(五輪)に行きたい」
 日本一は手にした。次は世界だ。

 

 

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