「どいつもこいつもオールブラックスばかりひいきしやがって、ガマンならねぇよ。ニュージーランド野郎がいつまでもデカいつらできると思ったら大間違いだぜ!」
南アフリカ人のピーター・ファンセイルは警察官に取り押さえられても吠え続けていたという。謝罪の素振りすらまったく見せなかったらしい。
いまから11年前、ダーバンで起きた衝撃的な事件を憶えている人も多いのではないだろうか。
熱狂的なラグビーファンである当時43歳のファンセイルは、南アフリカ代表×ニュージーランド代表の試合中、キングスパーク・スタジアムの観客席からグラウンドに飛び降り、アイルランド人レフリーに襲いかかった。スクラムを組む前の出来事で、オールブラックになってまだ初々しかったFLリッチー・マコウ(現NZ代表主将)がすぐさま暴漢を捕まえ、南アの選手も一緒になってレフリーを救出したのだが、好ゲームは壊され、ざわざわした雰囲気のまま試合は終わった。
「スプリングボックス(南ア代表)のためにオレがなんとかしてやらなきゃ、と思ったんだ。不公平な判定ばかりしやがって、アイツはアンチ南アフリカ野郎だ! レフリーまでオールブラックスにほれていやがる」
ファンセイルはオールブラックスが疎ましかったのだ。王道のど真ん中を堂々と進み、自信に満ちた彼らの姿に嫉妬して、抑え切れないほどの憎しみを抱いた。そして驚くべきことに、多くの南ア人がこの男に共鳴した。スプリングボックス敗北の怒りの矛先はレフリーに向けられ、許しがたいその人物に立ち向かった暴漢をヒーロー扱いしたのである。「オレたちはそれだけラグビーに熱いんだ!」というのが彼らの言い分だ。
世界の頂点でしのぎを削る宿敵との戦い。煮えたぎる気持ちを、部外者が完全に理解するのは難しい。
ラグビー王国といえばどこかと問われ、たいていの人が真っ先に思い浮かべるのはニュージーランドだろう。いや、南アフリカだと信じる者もいる。後者の実態を知りたかった私は偶然にも事件があった試合の取材席にいて、のちに、南ア人記者から自虐的ジョークを聞いた。「ラグビー王国? そんな時代もあったね…。でも、ニュージーランドとは差がついてしまったよ。それに、南アには母国の代表よりオールブラックスを応援する人が結構いるんだ」。
かつて、同じ南ア国民の白人から人種差別を受けてきた黒人・カラードの一部は、白人が愛するスポーツの代表チームをコテンパンにやっつける黒衣の男たちに熱狂した。悪者を成敗する英雄か。時代は変わったいまも、南ア人のオールブラックスサポーターは存在する。落胆するスプリングボックスファンの隣で歓喜する彼らの姿は、今年の南半球4カ国対抗戦のテレビ中継でも確認できた。
ダイナミックな走りに華麗なるテクニック。もちろん、圧倒的に強い。どんな相手にも決して手を抜かない誇り高き勝負師たちだ。そして、ごう慢さがないのがいい。ハカに向かう歩き姿からかっこよくて、ノーサイドで見せる笑顔は実にチャーミング。ファンやメディアへの対応も評判がいいと聞く。オールブラックスが愛される理由を挙げればキリがない。
彼らが生まれ育った国で昔、ラグビー観戦行脚をしたことがある。
目にしたのは、草ラグビーのフロントローで生き生きとしていた日本人の夢追い人、ハリケーンズの試合会場でフェイスペインティングしたかわいい子どもたち。スポーツバーで独りずっとテレビ観戦していたオジさんもいたし、試合当日のスタジアム周辺でソーセージを焼いていたママさんたちも楽しそうだった。スーパーラグビーが久しぶりに開催されることになった小都市で、小さな店がチームカラーの風船やリボンでショーウィンドーを飾っていた光景も、温かくてすてきだった。
ニュージーランド人からにじみ出るラグビー愛。それは当然、オールブラックスも持っているはず。その愛に包まれたら、持たぬ民はイチコロだ。
ニュージーランドラグビー協会は今回のジャパンツアーを機に、日本にも新たなオールブラックスファンを生み出して、2019年のワールドカップ日本大会をホームの雰囲気で戦えるような土台を作りたいと思っている。
「ニュージーランドが憎い」と思う人は、この日本にはいないかもしれない。
まさか秩父宮ラグビー場に暴漢の出現を期待するはずもないが、華麗なるオールブラックスに歯ぎしりをするラグビーファンがいたっていい。もちろん、拍手喝采も見る者の本能だ。オールブラックスの魅力にやられるか、日本代表選手の勇姿に胸を打たれるか。いずれにしても、歴史に残るような熱戦となりますように。
(文・写真/竹中 清)