あれ、ウサちゃんの耳(bunny ears)と呼ぶのだそうだ。この9月16日、イングランド代表のサモア系CTB、マヌ・トゥイランギが、英国のデヴィッド・キャメロン首相の後頭部の影から右手を伸ばしVの字サインをこしらえた。ブリティッシユ&アイリッシュ・ライオンズの豪州遠征勝ち越しを称える招待の席、記念撮影の場でのウサちゃんの耳は、たちまち批判の波に呑まれた。
さっそく自身のツイッターで「謝罪したい。悪気はなかった」とつぶやくも、ダウニング街(首相官邸)における時と場所をわきまえぬ「愚行」は広く苦笑と非難の対象となっている。この人、2年前のワールドカップでも、敗退後、観光フェリーから海へ飛び込んで、3000ポンドの罰金を科せられている。英国のPA通信によると、元イングランド代表フッカーの御意見番、ブライアン・ムーアは「完全無欠の間抜け」と後進の不始末を評した。
ライオンズという代表の中の代表、その一員である。いわばラグビー界の「公人」なのだから、この場合の厳しい視線は自明だ。ただし注意しなくてはならないのは、それですら「愚行」であって「悪徳」ではないことだ。弱い者いじめをしたわけではない。おバカさんと非道の衆は別種の生き物だ。
最近、スポーツ界に限らず、愚行と悪徳をインスタントな感情で一緒にしてしまい、輪郭のぼんやりとした世間が責め立てる風潮がある。飲食チェーンなどの店舗でアルバイトの若者が愚行を写真に残す。ここがまさに愚かなのだが、ツイッターなどで自分から拡散のきっかけをつくる。おおいに思慮に欠ける。ただし、冷蔵庫に入った従業員がいたら、それだけで閉店に踏み切るような対応はふさわしいのか。これはこれでこわい。そこにあるのはインターネット空間の「機嫌を損わぬ」ための体裁だ。
愚行は愚行だから、その場で叱るのも叱られるのも当然だ。仮に、質実な校風で鳴る地方大学ラグビー部に卒業生を送る伝統の儀式があるとしよう。この時だけは、まじめな部員たちがハメを外し、真夜中の繁華街、すでに人はまばらな交差点を数人の後輩がヌードで駆け抜けたとしよう。そこに警官がいたら腕をとられ交番に連れられ説教される。おおいにしぼられる。そのくらいでよいではないか。「××大ラグビー部員、全裸で交差点疾走。活動自粛も」。そんなニュースのヘッドラインに相当するほどの悪徳ではあるまい。
昔、ざっと半世紀以上前の早稲田大学ラグビー部員は、寮へ帰る終電を逃すと、駅員を脅して臨時列車を運行させた、という伝説があった。当時の現役である大先輩に確かめたら、そうではなくて「駅員さんに頼み込んで貨物列車の荷台に乗せてもらい最寄駅でそっと降ろしてもらった」が事実だった。それだって、いまなら「早大ラグビー部員、深夜の貨車に潜入 活動自粛も」となりかねない。
青春の武勇伝のスペースのない社会はさみしい。大学ラグビーにも、取材者の側が、よい子を求める潮の流れは強まりつつある。キャプテンのスピーチも、周囲のみなさまに感謝、というような紋切り型の正しさに満ちていて、悪くはないが味もない。
先日、学生時代にアルバイトをしていた食堂兼酒場の「同窓会」があった。大学ではラグビー部に入らなかったが長野県・伊那北高校の元フランカー、福岡・修猷館高校出身のボクシング選手の悪友コンビが、都内某所、横から見ると直角三角形を縦に置いたような構造のビルに「登った」思い出で盛り上がった。斜めのところを一歩ずつ最上部へ近づく。そこへ警察のマイク。「諸君は住居不法侵入に相当します。ハシゴ車を呼ぶからそのまま待機しなさい」。応答がよかった。「お願いですから自分の足で降りさせてください」。そろーっと下へ着いて、たんまりと怒られた。学年は下なのに2年浪人していたボクサーのほうが「年長だから」と首謀者に疑われて、いくら説明しても分かってもらえなかった。いま両名とも社会で職責に力を発揮している。
以上のような経験を現在の若者にことに奨励するつもりもない。「時代は変わった」の殺し文句に一定の理はある。ただ「愚行と悪徳は別」と確かめたいだけだ。もちろんマヌ・トゥイランギの首相ウサちゃん計画は間違いだ。オークランド港の海面に飛び込んだのも大失態である。トーキョーの無名の学生が角度に誘われてビルを天へと這うのとは立場が異なる。
【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。
〔写真:世界中のニュースサイトで報じられたマヌ・トゥイランギの「ウサちゃんの耳」〕
(BBCのサイト、PC画面を撮影したもの)