ラグビーリパブリック

飛び込め。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

2013.07.13

 テレビ画面にリザーブ席の堀江翔太が大きく映っている。相手チームには田中史朗。7月12日のスーパーラグビーで、両選手が所属するメルボルン・レベルズとハイランダーズが戦った。こんな日の訪れを誰が思っていたか。

 ふたりが海を渡ったのは昨年のことだ。ニュージーランドのITMカップ(国内州対抗選手権)、オタゴ代表でのプレーからすべては始まった。望まなければ、何も起こらなかった。日常に埋もれたままだったら、ふたりにとってスーパーラグビーは、テレビで観戦するもののままで終わっていた。

 思い立ったら動く人たちがいる。当事者の立場に思いを巡らせれば、いても立ってもいられない、の方が正しいか。そんな心情を想像するとき、必ず思い出す顔がある。福岡サニックスブルースの藤井雄一郎監督だ。

 天理高校、名城大とプレーを続けた若き日の藤井雄一郎は大学卒業後、名古屋で青果の卸売りの仕事に就いていた。大学3年時に経験したニュージーランド遠征でラグビーの深みにはまったけれど、第一線でのプレーとは縁が切れていた。
 ある日、大学時代のチームメートと結婚式で再会する。当時、西日本社会人リーグに所属していたニコニコドーでプレーを続けていた仲間の話を聞いていると、自分の中で火がついたのがわかった。どうにも止められなかった。

 以前、そのときの心の動きを聞いたことがある。突然の辞職。住まいを引き払い、夜行フェリーで九州へ向かった。
「当時、ニコニコドーで監督をされていた中村さんに、『もう帰るところがないから入れてください』って(笑)」
 望まなければ、何も起こらなかった。いま、福岡・宗像に住んでいることもないだろう。ニコニコドーではキャプテンを務め、クラブが休部に追い込まれるシーズンも最後までチームを牽引した。そのリーダーシップはサニックスに必要とされ、現役を続け、現在に至る。

 いつもこの人は言う。
「でかい、速い、うまいという選手は、もちろん(サニックスに)来てほしいですよ。どこのチームのリクルーターも、まず選手名鑑のサイズを見てあれこれ考え、すべてが揃っている選手から手を伸ばしていく。そんな中で、競合に勝てるネタがうち(サニックス)にはない。それだったら、そんな選手のうしろに隠れているような、あと10センチあったらジャパン…というような選手を探し、それに合ったラグビーをやった方がいいと思っています。経済面も人材も、限りのある中でやっているクラブです(笑)。大きく、速く、うまい選手なんて、(ラグビー界全体を見ても)数えるくらいしかいない。でも、『小さいけれどそこそこやるな』という選手はそこそこいる。そんなメンバーで勝てるような方法をチームとして確立していきたい」
 福岡サニックスブルースの選手たちを見渡せば不揃いだ。人と違う。人より熱い気持ち。藤井雄一郎自身がそうだったから、同じような人たちを放っておけないのだろう。

 福岡サニックスに漂う空気を求めて、玄界灘に近いブルースのグラウンドには、「入りたい!」と志願する若者の姿も珍しくない。なかなか人に見てもらえぬ環境に身を置く若者たちが大勢いる。チャンスに出会いたくてうずうずしている。

 同じような挑戦者たちが全国から集ったのが、7月10日におこなわれたトップリーグ合同選考会(大学4年生を中心とした合同トライアウト)だった。当日の参加者名簿には、いろんなプロフィールの若者たちがいた。石岡剛宗は東北大に学ぶ大学院生だった。

 青森は市浦村出身(現五所川原市)。日本海に面した田舎町で育った少年は同級生5人の学校に通っていたが勉強がよくできた。村から進学校の弘前高校へ進んだのは「10年ぶりぐらいだって言われました(笑)」。高校で楕円球に初めて触れた。東北大学でもラグビー部に入る。今回、広く門戸が開かれたことをインターネットを通じて知り、東京へ向かった。

 幼い頃からいろんなことを知りたい、見たい、やってみたい少年だった。東北大学の大学院、海洋生物科に学ぶ現在は、ウニの生態を研究する。実際に海に潜り、いがいがの生物がどう生きているのかを観察する。いろんな種類のものを採取し、口に入れる。
「うらやましいとよく言われますが(笑)、美味しくない種類もありますからねえ。海の中のこと、実際に見ることが大事です。研究したり、漁師の方々に聞いていても、潜ってみて初めてわかることも、あらためて知ることも少なくないんですよ」

 今回のラグビーのチャレンジも、似たような気持ちだった。飛び込んでみなければわからない。どれほどのレベルか知りたい。そんな思いを仲間に話したら、笑う者はいなかった。すぐに行動に移すなんてお前らしい、凄いねと背中を押してくれた。
 そして東京・辰巳のラグビー場で同世代のラグビーマンたちとボールを追ったら、「能力が高い人が多かったけれど、やれないことはないな、と」。頭を突っ込まないと、海の中は見えない。同じだ。

 高校3年の時、15人しかいなかったメンバーの一人が怪我で欠け、14人で大会に臨んだ。いつも以上にみんなで動かないとダメだね。怪我したアイツのためにも頑張ろうね。そうやって必死になったら2回勝てた。絆の強さが見えない力を生む。そんなラグビーの魅力にとり憑かれ、少しでも上の世界を見てみたいと常々思ってきた。
 体を張るプレーに自信を持つみちのくのCTBは、「トップチームから声がかかることはないと思います」とチャレンジを振り返るけれど心は満たされた。見てきた世界。いま感じている思い。それらを後輩たちに伝えたら、続く者が出てくるのではないか。
「そういう現象があちこちで起きたらいい」

 やって失敗するのが恥ずかしい。そう尻込みする人がたくさんいる世の中で、石岡剛宗は少しの東北訛りで言い切る。
「やらないまま終わる方が恥ずかしい、ですよね」
 南に飛んだ田中史朗、堀江翔太。夜行フェリーに揺られた藤井雄一郎。みんな同じ人種である。

 

 

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

 

 

(写真:トップリーグ合同トライアウトに挑んだ若者たち。中央が石岡剛宗/撮影:松本かおり)

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