ラグビーがまだ純然たるアマチュアスポーツだった1990年代初めの頃、このスポーツが好きな知人に「なぜラグビーにプロがないのか」を尋ねられてこんなふうに答えたことがある。
「ラグビーをプロにしたら、将来大変なことになるからです。プロを認めたら、オールブラックスなんかが身体を鍛えて、アメリカのプロのアメフットのラインマンみたいな体格にどんどん近づいてゆくことになる。そうなると、彼らに勝とうと思うチームが、それ以上に身体を鍛えるという競争になるわけです。そういう人たちが防具も付けずにぶつかり合うとどうなりますか。やがてとても危険な領域へ進んでいってしまうだろうと、ラグビー世界の人たちには分かっている。だからアマチュアのままにしているんです」と。
1995年にIRBがラグビーのプロ容認に踏み切って、今年で18年目になる。個人的な感想をいえば、2011年のラグビーワールドカップをさかいに、ラグビーマンの体格の進化が一段と加速した印象である。いまや世界のトップレベルのラグビーマンたちは、体重100〜130kgの鍛え抜かれた身体を駆使して、相手とコンタクトし、タックルし、押しのけ、めくりあげ、ねじり倒し、倒れては即座に起き上がり次の目標へ向かう。まるで80分間を走り切れるプロレスラーといったイメージである。
戦いの現場に身を置くプレイヤーとコーチたちが、打倒目標にかかげた目の前の敵を凌駕することに全エネルギーを注いでいる日々の姿勢と努力には頭が下がる思いがする。
その一方で、プレイヤーの身体強化がさらに進んだ先にあるラグビーの姿を予測し、想像することが必要だとも強く感じるのである。だからこそ、ゲームのコントローラーであるIRBには、プレイヤーの健康維持のために、競技規則面で先手を打って行くことが、求められているといえるだろう。
IRBは今年5月にスクラムの新しい組み方として、従来のクラウチ〜タッチ〜セットのコールから、新しくクラウチ〜バインド〜セットのコールで組むよう規則改正を提示した。新スクラムはフロントローがあらかじめ相手とバインドしてからエンゲージの合図で組み合うという方法で、落下による組み直しや、ペナルティを減らすことを目的に掲げている。
ちなみに、新システムは6月にチリで行われU20日本代表も参加したワールド・ジュニア・トロフィー大会と、フランス開催のワールド・ジュニア・チャンピオンシップ大会で試験採用され、今年8月1日から世界的に採用される模様である。
世界のトップレベルではFW8人の体重合計がまもなく1000kgを超えようかという状況にあることから、新規則はスクラムのヒットの衝撃からフロントローを守る健康維持の思考が根底にあるようだ。
現場のプレイヤーには従来どおりのスクラムを望む声がある一方で、頸椎専門のドクターの間からはスクラムの安全面の向上を求める声が強い。IRBはその狭間にあって、近年はプレイヤーの健康維持へと舵を切りつつあり、やがて来るであろう1トンと1トンの激突するスクラムを想像した結果、スクラムの規則改正へと動いたものと想像している。
(文:小林深緑郎/写真:BBM)
【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。