スーパーラグビーのブランビーズが強い。強い、というより、結束している。チームの攻防のイメージが共有されているのがテレビの中継画面からも伝わってくる。なぜか。ひとまずジェイク・ホワイト監督の手腕であるとはわかる。昨年度から指揮を執り、その前のシーズンに4勝1分11敗だった戦績を大きく改善、たちまち10勝6敗とした。今季もここまで10勝2分3敗と本稿執筆時には全体の首位を走る。
では、このスプリングボクスを率いてワールドカップを制した指導者は何をしたのか。このほど英国の新聞『ガーディアン』に内実が書かれていた。オーストラリアのメルボルン在住のラジーブ・マハラージ記者の寄稿によると、それは「プレイヤー・パワーの排斥」である。「プレイヤー・パワー」とは、まさに選手の力、選手の権力を意味する。簡単に書くと、一流で大物で古株で人気者、たとえば、そうした選手たちが、セレクション、練習法、あるいは監督などの人事にも影響をおよぼすことだ。
ブランビーズにあっては、創設直後の1996年から2004年までは、プレイヤー・パワーが機能したが、そこかから先は、ひび割れが大きくなり「選手のまとまりは排他性へと変わった」と解説されている。以下、同紙に紹介された経緯を参考に流れをまとめる。
ブランビーズは、スーパーラグビー発足を機に、ラグビーのさほど盛んでなかったキャンベラに、なかば人工的につくられた。のちにワラビーズを世界一へと導く知将、ロッド・マクイーン監督は、シドニー(ニュー・サウス・ウェールズ)やブリスベン(クイーンズランド)からはじかれた選手の「パッチワーク」であったチームをまとめるために、あえて「プレイヤー・パワー」を利用する。ジョージ・グレーガン、ステイーブン・ラーカム、ロッド・ケイファー、オウエン・フィネガンといった実力者がリーダー集団を形成、組織に関わり、グラウンドでの成果を挙げた。マクイーン監督は、広告ビジネスの柔軟な成功者であり、てのひらに踊らせていたのかもしれない。
しかしマクイーン監督が去ると、ほころびが、ひび、さらには裂け目へと拡大する。04年、スーパーラグビーを制しながら、デヴィッド・ヌシフォラ監督が解任された事実が象徴だ。すでにプレイヤー・パワーは、優勝コーチを追放するほどに肥大していた…。そこへ異国からホワイトがやってきて「古きブランビーズによる腐食」を阻んだ。キャプテンには生え抜きでなしにニュー・サウス・ウェールズ出身のベン・モーウェンを指名。「こうして意思決定のヒエラルキーの頂点は監督に戻された」(同紙)。
本来、監督とは、突然現れて、いきなり監督である。選手は監督を選べない。なのに監督は出場メンバーを選べてしまう。この理不尽が集団スポーツのいわば運命である。ゆえに指導者は私情を捨て、公正に身を律し、負ければ選手をかばい自分が責任をとる。スポーツ記者の心得に「チームのことは選手に聞くな」があると思う。選手は自己完結している。世に無能と思われる指導者でも自分を抜擢してくれたら好きだ。最高の名将も自分を外せば嫌いかもしれない。チームを解説できる客観性などない。なくてよいのである。
プレイヤー・パワーは、必ず行き詰る。なぜなら、選手が選手に対して権力をかざすことになるからだ。選手がレギュラーのセレクションや人事など決定権に関与すると、そこで起きる不満は、監督でなく選手へ返ってくる。チーム崩壊はここから始まる。恨みの吸収も監督の職責の一部なのである。
ここから先は想像だが、今季のスーパーリーグで不可解なほど不振にあえぐハイランダーズに「大物選手」の影がちらついてしまう。トニー・ウッドコック、マーア・ノヌ、ブラッド・ソーンの加入で化学式が変化したのではなかったか。田中史朗その人は何かを感じているだろうけれど、もとよりチーム事情を外の取材者に語るはずもない。いつか引退したら、小さな声で教えてもらおう。
【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。
(写真:円陣を組むブランビーズの選手たち/撮影:Yasu Takahashi)