1995年に南アフリカで開催されたラグビーワールドカップの決勝前、エリスパークの上空ギリギリにジャンボ機を飛ばし、セレモニーを盛り上げたパイロットのローリー・ケイ氏が、4月24日に心臓発作を起こし、亡くなった。67歳だった。『sport24』など地元メディアが伝えた。
1995年6月24日、人種差別の問題を克服してひとつになろうと願う南ア国民がスタジアムを埋めつくし、スプリングボックス(南ア代表)とオールブラックス(ニュージーランド代表)が熱闘を繰り広げる数分前、「GOOD LUCK BOKKE(スプリングボックスに幸運を)」とメッセージが書かれた南アフリカ航空のボーイング747機を操縦したケイ氏は、マンションや高層ビルが立ち並ぶジョハネスバーグの中心部に近づき、スタジアムの最上段の席からわずか60メートルのところを飛んだ。
当時の様子は、ジョン・カーリン氏の著書(八坂ありさ 訳)『インビクタス 負けざる者たち』(NHK出版)に詳しい。以下、引用文。
「いくつかの要因が味方してくれたんです。視界は抜群で、風もなかった。でも、いちばん大きかったのは、気持ちです。われわれは強いんだ、われわれが勝つんだ、というメッセージをどうしても伝えたかった。ええ、それでぼくたちは、もてる力をすべてスタジアムに投下できたんだと思います」
大部分の人には近づくジャンボ機が見えず、観衆の最初の反応は、恐怖以外のなにものでもなかった。場内で大型爆弾が破裂したかのよう。747の四基のエンジンがあげる爆音で、観衆はひとり残らず耳をふさがれ、スタジアムの壁が震えた。大統領の特別観覧席で、ルイス・ルイトは思わず立ちあがったという。隣にはマンデラがいた。
「跳びあがったよ!」 ルイトは、大声で言った。「マンデラも跳びあがったんだ」 スタジアム中の人間が跳びあがった。ルイトは「とんでもない男だ」と、明るく笑った。ケイのことだ。「あんなに低く飛ぶなんてだれも聞いていなかった。たったの60メートル。心臓が止まるかと思ったよ。もうすこしでスタジアムの屋根をかするところだった」
衝撃は特大の歓喜に変わった。機長のケイがスタジアムに投下した力はひとりひとりの観衆に伝わり、試合終了までその心を酔わせた。
延長戦にまでもつれた激闘は、ジョエル・ストランスキーのドロップゴールで南アフリカが15−12で勝利。スプリングボックスのジャージーを着たネルソン・マンデラ大統領の登場や、ローリー・ケイ氏の見事な演出もあり、ワールドスポーツの歴史に残る日として語り継がれる。
【YouTube 動画/1995年ラグビーW杯決勝前 セレモニー】
https://www.youtube.com/watch?v=oJVMlHfloHA