ラグビーリパブリック

WHATEVER IT TAKES  竹中 清(スポーツライター)

2013.01.20

 昨年12月、優勝賞金100万ランド(約1000万円)をかけた7人制ラグビー大会「NBMセブンズプレミアリーグ」が南アフリカで開催され、話題を呼んだ。国内の人気サッカークラブであるカイザー・チーフスもラグビーチームを結成して参加するなど、同国スポーツ界全体を刺激した。
 その仕掛け人は、ヴィレム・ストラウスという男。南アでも特にやり手と評判のスポーツプロモーターだ。
 実は彼、日本にも強い興味を持っている。いや、しばらく連絡を取っていないから、過去形にした方がいいだろうか。



 私のパソコンには、2003年11月にこの男から送られてきたメールが保存してある。こんなことが書かれていた。
「ジャパンのワールドカップでの活躍を心から祝福したい。これで、ラグビーはますますグローバルスポーツへと変わっていくだろう。私の読みは当たっていた。ジャパンを侮ってはいけない。タウンズビルでフランスやスコットランドを苦しめた極東の男たちは、ラグビーへの情熱と未知の可能性を確かに秘めている。なんとしても、パイプを結びたい…」



 彼と初めて会ったのは2003年の3月頃だった。南ア、ニューランズスタジアム近くのカフェで、一部スプリングボックスの代理人らも同席して、さまざまなプランを聞いた。
「実は、ナミビア代表と南アフリカのトップクラブチームが日本サイドと試合をしたいと言っている。来年6月、日本代表のアフリカ遠征を実現できないだろうか」
 南アの強豪2チーム、ナタール・シャークスとフリーステート・チーターズの日本遠征も計画されていた。
「シャークスが『ラグビー界のマンチェスター・ユナイテッドを目指す』と言っているの、知ってるだろ? 日本に行って親善試合とラグビー教室をやりたいらしいんだけど、どうだろう?」
 後日、日本ラグビー協会と2つの社会人チーム(現トップリーグチーム)に打診をした。残念ながら、南ア側が希望していた6月と7月は、日本サイドのスケジュール調整がつかず、計画は実現しなかったが、その動きを知ったライバル、ブルー・ブルズの協会会長も、「自分たちの全面的バックアップで日本のチームを南アフリカに招待したい」と言い出し、彼らの積極性に圧倒されたのを覚えている。
 日本進出の計画は先送りとなったが、プロモーターのヴィレム・ストラウスはその後、中東のドバイで、南アチームによる試合開催を実現した。
 マーケット拡大やブランド力アップを、グローバル規模で考える。ラグビー大国の彼らは真剣で、貪欲だ。



 2004年にヤコ・ファンデルヴェストハイゼンが南ア代表選手として初めて日本のチーム(NEC)に入団し、トップリーグで活躍した。「大金に目がくらんだに違いない。日本でラグビー? 冗談だろ。アイツはもう引退を考えているのか」などと揶揄する声もあったが、ヤコはその後、2006年まで南ア代表であり続け、母国に戻ってからはブルズのスーパーラグビー優勝などに貢献し、日本で過ごした時間が無駄ではなかったことを証明した。
 ヤコの挑戦を機に、多くの南ア代表経験者が来日するようになり、今ではフーリー・デュプレア、ダニー・ロッソウ(サントリー)、ジャック・フーリー、ピーター・グラント(神戸製鋼)、ワイナンド・オリフィエ(リコー)、アルベルト・ヴァンデンベルグ(キヤノン)、ライアン・カンコウスキー(豊田自動織機)などがこの国で汗を流している。



 サッカーワールドカップ、夏季オリンピックに次いで、世界で3番目に大きなスポーツイベントといわれるラグビーワールドカップが、2019年に日本で開催される。将来、スーパーラグビーをさらに拡大して日本チームも参入させよう、という声もある。
 「結局、ジャパンマネーが魅力なんだろ」
 だからどうした? その魅力に惚れてラブコールをくれる者がいるのなら、最大限に有効活用したらいい。



 南アに、ストーマーズ(ウエスタン・プロヴィンス)という人気ラグビーチームがある。南半球スーパーラグビー、国内選手権カリーカップでの観客動員数は、平均3万人を超えるとも言われている。おそらくナショナルチーム以外では、世界トップクラスの観客動員数を誇る。
 彼らがホームとするニューランズスタジアムが、観客席とグラウンドの距離がギリギリまで近いのは、互いの熱気を感じられるように。いまだに立見席と学生専用席を排除していないのは、経済的に豊かでない人や子どもたちの声援こそ大事にしたい、という気持ちの表れである。だからこのスタジアムでは、いろんな肌のファンたちが思い思いのスタイルでラグビー観戦を楽しんでいる。
 このチームに初めて取材申請をしに行った日のことは今でも忘れられない。
 どこの馬の骨かもわからぬ東洋人に対し、応対した男性は「よくぞ来てくださいました」と言った。そして、グラウンドはもちろん、記者会見場からクリーニングルームまで、広いスタジアム中を1時間以上かけて案内してくれたのである。フロントに戻ると、ユースのトレーニング指導を終えた元南ア代表LOのロブ・ロウが笑顔で待っていた。日本からスポーツライターが来ていると知らされた彼は、「ハロー!」を言うためにわざわざ待ってくれていたのである。懐に入るのがうまいのだ、みんな。
 帰り際にもらったウエスタン・プロヴィンスのポスターには、こんな言葉が書かれてあった。


 


 “WHATEVER IT TAKES”
「必要なことなら何でも」「どんなことをしてでも」、と訳せばいいだろうか。



 2019年へ向けて日本に必要なのは、この意気である。


 


(文・写真/竹中 清)


 


 


(写真:南ア国内選手権時のニューランズスタジアム)

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