(写真:筑波大のSO松下真七郎/撮影:BBM)
テレビ実況の佐藤哲也アナウンサーの「シチじゃなくてヒチですねえ」という指摘に、筑波大と青山学院大戦の中継を準備していた関東地方生まれのスタッフ全員が「えー、そうなんだ」と反応した。
確かに、筑波大が提出した選手リストの2年生SO松下真七郎選手(福岡高)の名前にはマツシタシンヒチロウとフリガナがふられている。そこで、ラグマガの大学選手名鑑も確認してみると、やはりシンヒチロウとなっていた。
潮干狩りがヒヨシガリになったり、地名の渋谷(しぶや)と日比谷(ひびや)を聞き間違えて混乱したりと、「ヒ」と「シ」の区別に弱いのは昔から江戸っ子と相場が決まっていたものだ。筆者は東京生まれだが、親が三重県の出なので「ヒ」と「シ」の混同はない。印象深いのは、東伊豆で道を尋ねたとき「しのみがあるから右に曲がれ」と教えられ、行ってみたら火の見やぐらが見えてきて、ようやく意味が分かったという経験だ。
ところで、花園の高校ラグビーで長逗留する大阪では、質屋の看板には「ひち」と書いてあり、「七」の読みも「ひち」だそうだ。このことは『落語食譜』(青蛙房)のなかで東京生まれの演芸評論家、矢野誠一が指摘している。著者いわく、どんな「国語辞典」をひらいても「七」や「質」は、「し」の項目でひくようになっているのだから、「ひち」と書くのは、日本語として誤りではないかと、道頓堀の長老センセイにただしたところ、返事がふるっていた。
「辞書というのは、東京の学者がつくるさかい、あないになるねン、どだい、『し』と『ひ』の区別もつかん江戸っ子が、ごちゃごちゃいうことないねン」
で、上方落語の名作『質屋蔵』、『七度狐』は「ひちやぐら」、「ひちどぎつね」となって、上方落語の辞典では「ひ」の項目に載っているということである。
『漢字の現在』(三省堂)のインターネット版第227回「訛りと漢字」で早稲田の笹原宏之教授は質屋がヒチヤとなり、看板に「ひち」と書かれるのは名古屋以西では珍しいことではないと書いている。どうやら境界線は名古屋の東付近のようだ。
福岡県境近くの佐賀県には「七郎神社」、地名で七郎丸(ひちろうまる)、熊本市には七所宮(ひちしょぐう)という神社があるという。
七で始まる名字で思い出したのが2008年春に現役引退したトヨタ自動車ヴェルブリッツのHO「ノへ」こと七戸昌宏さん(盛岡工、拓殖大)だ。ノへは岩手県の出身なので名前のフリガナは「しちのへまさひろ」である。
再び笹原教授の「訛りと漢字」からの引用だが、京都の七条はヒチジョウ、さらにヒッチョウという発音も見られるそうで、大阪にある製薬会社の七福はヒチフク、といった具合に、『し』から『ひ』への転換は、広い意味の訛りの一種であるらしい。
(文・小林深緑郎)
【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。