ボクはパスを放れない。というか、じっくりラグビーボールを触ったことがない。生まれ育った島には、楕円球を持っている人なんていなかった。全校生徒が20数人しかいない中学校だったから部活動は軟式テニス部しかなくて、そのまま大学卒業までラケットを握っていた。
だから、タックルがどれほど痛いか知らない。スクラムで押されたときの苦しさも、プレースキックを蹴る前の緊張感も、インゴールに飛び込んだときの気持ちよさも、勝手に想像するだけだ。
ラグビー雑誌編集部で働いていた頃、埼玉にあるクラブで体験入部をさせてもらったが、ちょっと走っただけでダウンして、それっきり。もうすぐ四十で痛風持ちの太鼓腹、根性なんてもうないし、ラガーマンと名乗ることができぬまま、ボクは一生を終えていくのだな……。まっ、いいか。いつか子どもができたら楕円球を与えて、一緒にパスをやってみよう。
ラグビーとは縁のなかったボクは少年時代、テニス以外では広島カープとハルク・ホーガンに熱狂し、長崎出身だから、島原商と国見の活躍もあってサッカーも大好きだった。バレーボール雑誌もよく買った。益子直美の写真を見たかっただけですけど。
だから、軟式テニス部のオマエがいうなと怒られるかもしれないけど、ラグビーなんて、7、8番手のスポーツだった。ボクのなかでは。
でも、嫌いだったわけではない。神戸製鋼イアン・ウィリアムスのロスタイムトライに興奮した。サッカーのPK合戦で遊んでいたとき、プレースキックの名手・今泉清のマネをした。高3の秋まで坊主頭だったけど、卒業する頃には「吉田義人カット」になった。20数年前、ラグビーは人気スポーツで、テレビや新聞でよく見たもの。
しかし現在、日本ラグビー界はファン獲得に苦しんでいる。国立競技場どころか、秩父宮ラグビー場が満員になることもなくなった。日本最高峰リーグであるトップリーグの入場観戦者数は、3季連続でダウン。2011−12シーズンは、1試合平均約3,500人という寂しい状況だ。マア・ノヌー、ブラッド・ソーン、ミルズ・ムリアイナ、フーリー・デュプレア、ジャック・フーリー、ジョージ・スミスなど、多くの世界的ビッグスターが参戦したにもかかわらず。
はがゆい、なんて言っている場合ではない。あと7年で「2019 ラグビー ワールドカップ 日本大会」だ。ジャパンの8強入りは信じている。そして、日本中の試合会場が満員で沸いて、国民的レベルでラグビートークが盛り上がることを夢みている。というか、開催国に名乗りを挙げた以上、それを実現するつもりでやりましょうよ。
『ラグビーリパブリック』で仕事をさせてもらうようになって、ボクが一番やりたいと思ったのは、世界ランキング80位とか90位の国のラグビー事情を伝えること。サイトをオープンして間もなくの頃、北欧スカンジナビアで、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの3カ国による「バイキング・トライネーションズ」が新設されたことを記事にした。マイナースポーツを愛しているマイノリティは、世界中にいる。「そんな国でラグビーやってんの?」といわれる情報をできるだけお伝えしたい。サッカー王国のブラジルに生まれ育ちながら、楕円球をこよなく愛する人はたぶんいて、世界ランキング最下位のフィンランドにも、スーパーラグビーを熱く語る人がいるかもしれない。
世界がみんなつながって、ひとつになる。「World in Union」。大好きな言葉だ。ラグビーワールドカップの大会ソングでもある。2019年にこの歌を、多くの人に歌ってほしい。
7年後に向けて、パスさえまともに放れないボクができることのひとつは、ラグビーの素敵なシーンを伝えること。観戦歴も浅いけど、以下、一番思い出に残っているラグビーシーン。
2001年3月30日、南アフリカはブルームフォンテーンでの出来事。アパルトヘイトの黒歴史がある同国では、当時も人種差別に関する緊張感はまだかなりあったと記憶している。
数週間前に首都プレトリアのスタジアムで、黒人売り子が抱えていた商品のコーラをすべて地面にたたき落とし、バカ騒ぎする白人を目の当たりにしていたボクは、南アフリカという国に失望していて、その夜、ブルームフォンテーンで行われるスーパー12「キャッツ対シャークス」戦を観たら、帰国準備をするつもりだった。
好調同士の南アダービーで、スタジアムは3万5000人の超満員。南ア人に嫌悪感を抱き始めていたボクの隣に座ったのは、50歳くらいの大きなオランダ系白人男性だった。どうせコイツも、横にいる東洋人を“イエローモンキー”と見下しているんだろうと思っていた。こちらは英語をまともに話せない。隣のオッサンも、オランダ系白人が使うアフリカーンス語以外は苦手らしく、しばらくは沈黙が続いた。2人に共通していたのは、キャッツが大好きということだけ。それをどうにかわかり合えたら、白人のオッサンはちょっとだけ頬を緩めて、持参していた干し肉をボクにくれた。ボクはお礼にビールを。独りで試合観戦に来ていたその白人は寡黙な男で、相変わらず会話はほとんどなし。でも、ボクはそれで十分だった。気持ちよく、ラグビーを観ることができた。
試合は前半から白熱の好ゲーム。ハーフタイムに、アウェイチームであるシャークスの控え選手、CTBデオン・カイザーがアップをし始めた。彼は、南アフリカ代表になって3年目の“カラード”で、非白人にとってのスターだった。すると、ボクたちの数列前に座っていた大学生らしき黒人2人が、カイザーの姿を写真に撮ろうとフェンスに近づき、幸運にもサインまでもらっていた。嬉しくて興奮する黒人青年たち。次の瞬間、ボクたちの後方から野次が飛んだ。でも、黒人2人はひるまない。それどころか、拳を高く上げて「やったぜ!」と満面の笑みを浮かべていた。野次を飛ばしたのは白人のキャッツサポーターだった。黒人青年のガッツポーズを見て、彼らはちょっと照れくさそうに苦笑いしていた。まもなく、シャークスのジャージーを着た白人グループが、野次を飛ばしたキャッツサポーターを挑発する。それを見て、キャッツのフラッグをマントにしていた黒人のオッサンがシャークス好きの白人たちを冗談まじりにからかって、笑った。後半の熱戦が始まる前の、つかの間のブレイク。みんな、どこか幸せそうだった。美しい交流だった。ブルームフォンテーンでの夜、ボクが目にしたのは、黒人と白人の対立ではない。シャークスサポーターとキャッツサポーターのチーム愛だった。
試合は26−25でキャッツの勝利。激闘がノーサイドの笛を迎えた瞬間、ボクは隣の白人のオッサンに思わず抱きついていた。隣の、キャッツを愛する仲間に。そして、気の利いた言葉を交わせぬまま、固い握手をして別れた。
これが、ボクが一番好きなラグビーの思い出です。
人は、勝手な言い分で敵対することがある。でも、どこか少しでも心を開ける部分があったら、わずか80分間だけでも仲間になれる。その断片の積み重ねが、ボクが思う「World in Union」だ。肉体も魂も激しくぶつかるラグビーには、それが多いような気がする。
実際にプレーした経験がある方々は、もっと素敵なラグビーストーリーを持っているんだろうなぁ。それを『ラグリパ』でも、できるだけ伝えていきたい。2019年まで積み重ねられたら、きっと何か変わっているだろう。
(文・写真/竹中 清)