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五輪陸上選手になった義足ラガーマン  オスカー・ピストリウス

2012.07.31

 連日盛り上がっているオリンピック。セブンズが実施されるのは4年後ですが、今回のロンドン五輪で、ラグビーファンの方にも注目してほしい選手が男子陸上競技にいます。両脚が義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手(25歳)です。
 障害を抱える選手たちが参加するパラリンピックで、金メダル4つ、銅メダルを1つ獲得してきたピストリウス選手は、今年3月に400メートルで45秒20をマークし、五輪参加標準記録A(45秒30)を突破したことから、義足陸上選手として初めてオリンピックに出場することになりました。



 南アフリカはジョハネスバーグ出身のピストリウス選手は、生まれつき両足とも、膝から足首までを構成する腓骨(ひこつ)がありませんでした。両親は世界の名医といわれる人たちに相談したところ、彼が歩くのを覚える前に切断した方がいいとアドバイスされ、生後11カ月のときに膝から下を切り落とす決断をしました。



 兄が靴を履くのと同じように、人工足を装着するのが自然だったオスカー少年は、幼少期から活発だったそうです。6歳の頃にレスリングで初めてトロフィーをもらい、9歳になるとボクシングにも挑戦、学校ではテニスとクリケットを楽しみ、水球で州代表にも選ばれたほどでした。
 しかし、彼が最も夢中になったのはラグビーでした。子どもの頃、お父さんにこう言ったそうです。「大きくなったらラグビーのスター選手になるんだ」。いつかスーパーラグビーでプレーすることが大きな目標でした。
 名門プレトリア・ボーイズ・ハイスクール時代はセンターでプレーしていたそうです。



 ピストリウス選手は、イギリスの新聞『ザ・ガーディアン』のインタビューでラグビー選手時代の逸話を披露しています。
「私はラグビーをプレーすることを愛していました。昔、こんなことがあったんです。ある試合で、ボールを持ってライン沿いを走っていたとき、相手選手にタックルされて、義足が外れてしまった。でも私は、そのまま懸命に前進し続けてトライラインを越えたんです。手にはボールをしっかり持っていたんですけど、足は後ろに置いてきたまま。笑い話のような、懐かしい思い出です」



 しかし、当時16歳だった2003年6月、プレー中に右膝を負傷したことで、ラグビー競技者としての人生は終わってしまいます。そして専門医から、リハビリのためにランニングを勧められ、それがきっかけで陸上競技アスリートとしての人生が始まったのです。陸上に本格的に取り組むようになってわずか8カ月後、ピストリウス選手は2004年アテネパラリンピックに出場し、100メートルで銅メダル、200メートルで金メダルを獲得。2011年には健常者たちと一緒に世界陸上競技選手権大会に出場し、400メートルで準決勝まで進みました。



 オスカー・ピストリウスという勇者は、楕円球を持ってブルズやライオンズでプレーすることはありませんでしたが、いまでもラグビー関係者たちと交流があります。南アフリカ代表主将として2007年ラグビーワールドカップ優勝を成し遂げたジョン・スミット選手は、高校の先輩であり、友人のひとりです。ブルズとスプリングボクスで9番をつけるフランソワ・ホーハート選手も親友であり、彼の愛車だった白い「BMW・M3」はピストリウス選手から買ったものでした。
 2人とも、オリンピックの舞台で友が走るのをワクワクしながら待っていることでしょう。



 オスカー・ピストリウス選手が出場するのは、男子400メートル(予選:8月4日、決勝:6日)と、1600メートルリレー(予選:8月9日、決勝:10日)です。



 



【オスカー・ピストリウス YouTube 動画】
http://www.youtube.com/watch?v=uLIlI3VEsJY


 

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